鍋山和弥

宮本武蔵 巌流島の決斗の鍋山和弥のネタバレレビュー・内容・結末

宮本武蔵 巌流島の決斗(1965年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

剣とは、何か?それについての、考察の作品だったと思います。『宮本武蔵』は、これまでのシリーズ中、様々な相手を、斬り捨ててきました。剣を極めるという目的のため。何のために、剣を極めるか?それは、人間的、成長のため。しかし、『宮本武蔵』には、罪悪感が、生まれ、剣の道に、迷いが生じたように、思います。やはり、幼子を、勝つために、斬った。この事が、罪悪感を強め、剣とは、何かということに、迷う。そんな中の、出来事。父を失った子供、『伊織』と共に、侍になる前の、原点、百姓に、戻ったり、研ぎ屋に行けば、『ウチでは、武士の魂を、研ぎます』と言われたり、『おつう』との、幼子を、斬ったことに対する、罪悪感に関する、会話をしたり、はたまた、芸術の道に、入ってみたり。そんな中、『宮本武蔵』は、『佐々木小次郎』に、果たし合いを、申し込まれます。『佐々木小次郎』の、果たし合いを、申し込んだ理由は、完全に、己のプライドでしょう。やはり、『宮本武蔵』を、褒め称える言動に、プライドが、傷付いたのだと思います。やはり、『佐々木小次郎』は、傲慢だった。この時点で、『佐々木小次郎』は、わざと、時刻を、遅らせる必要もなく、怒り浸透だった。『宮本武蔵』の策は、必要なかった。果たし合い前の、食事の様子も、そうだ。栄養価を考える、『宮本武蔵』に対して、酒をガンガン飲む、『佐々木小次郎』。この事から、『佐々木小次郎』は、策も必要なく、怒りと傲慢さで、剣が、鈍っていた。これが、勝負を、分けたのだと思います。こうして、宿敵、『佐々木小次郎』を、斬った『宮本武蔵』の手は、また、血に染まった。命を奪った自らの剣を、『宮本武蔵』は、『所詮、剣は、武器か』と吐き捨てる。自らの手で、命を、奪ってきた、自身の経験からの言葉。このあと、『宮本武蔵』は、剣を、極める意思は、無くなっていくだろうと、推測される。いや、この『剣は、武器』という境地こそ、剣を、極めた者の境地と言っても、いいかもしれません。『剣は、武器』。『剣は、命を奪う物』。剣を極めることで、『宮本武蔵』は、人間的成長を、遂げたと思いますが、それは、『剣は、むやみやたらと、振り回す物ではない』ということに、繋がると思います。剣を、振るうということ。それは、命を、奪うということ。それだけに、命を背負う、責任も伴う。その境地こそ、『剣を、研ぐことは、武士の魂を、研ぐ』ということにも、繋がるかもしれません。『剣は、武器』。『剣は、命を奪う物』。だから、『命を奪う責任が伴う』。これが、武士道精神の、境地のように思います。
鍋山和弥

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