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絶唱のodyssのレビュー・感想・評価

絶唱(1966年製作の映画)
3.0
【思想映画?】

舟木一夫と和泉雅子の主演による悲恋映画。山陰地方を舞台に、大地主のお坊ちゃんである順吉(舟木一夫)と、大地主の所有になる山の山番をしている貧しい夫婦の一人娘である小雪(和泉雅子)が身分違いの恋に、という話です。

(なお、同じタイトルと材料で、小林旭と浅丘ルリ子、三浦友和と山口百恵による映画も作られていますが、私は今のところ未見です。)

見ていて最初時代設定が分からず、映画自体は1966年(昭和41年)に封切られているので同時代なのかなと思いましたが、やがて出征シーンが出てきて、どうやら戦時中の話らしいと気づきました。

身分違いの恋に走った息子を苦々しく思う父親(志村喬)は、「京都の大学になんかやるんじゃなかった」と言っています。いくら大金持ちの息子でも大学進学率が低かったのが当時。実際、順吉は最初学生服を着て学帽をかぶっています。当時の大学生は今と違って制服と制帽を着用するのが普通だった。京都の大学というと、京大なのか、或いは同志社あたりか。映画を見てもその辺はよく分からない。

同じく父親のセリフで、「(息子が身分違いの恋に走ったのは)思想のせいだ」とあります。順吉は近所の若者たちと一緒に読書会を開いている。若者たちは、小学校教師や銀行員などですが、順吉の父親の土地で材木を切り出して暮らしている家のせがれもいる。そして読書会ではモルガンの『古代史』なんて書名が出てきます。社会主義思想に重大な影響を与えた学者と著書ですね。つまり、人間は誰でも平等だという思想ゆえに、息子は身分違いの恋に走ったのだと父親は喝破しているわけです。そして読書会の仲間たちは、順吉の身分違いの恋を支援している。

順吉は大学を中退し、小雪と駆け落ちして同じ山陰ながら海辺の町で暮らし始めます。そして(父親とは縁を切ったので)慣れない肉体労働に従事する。この辺にも「労働者も高学歴者も平等」という「思想」の影響が見て取れます。

ただ、現実的に考えるなら、大学中退者がとりあえず就きやすい職業というと小学校教師あたりではないかという気がします。当時は中学(旧制)を出れば小学校の教員にはなれたからです。また、戦前戦中は小学校教師は安月給だったので、なり手が慢性的に不足していました。(有名な田山花袋の『田舎教師』も、家庭の経済状況で中学までしか行けなかった青年が、いやいや小学校教師になるという筋書きです。)

また、小雪とふたりで暮らし始めた順吉にも赤紙が来て出征を余儀なくされるのですが、そのとき髪を短髪にした順吉を見て、小雪は「中学のときみたい」と言います。セリフだけ聞くとふたりが同じ中学で過ごしたと錯覚しかねませんが、あの時代、(旧制)中学は義務教育ではなかったから、貧しい家の子供は行けなかった。また中学は男子校だった。小雪は貧乏な家の娘ですし、(当時男子校だった)中学に相当する学校は高等女学校ですが、とても通えなかったはず。ですから、このセリフは中学に通っていた当時の順吉を、小学校を出た後は家の仕事を手伝っていたであろう小雪が時々見かけていた、という意味なのです。

しかしこの映画が「思想」で塗り固めたガチガチの社会派ドラマなのかというと、そうではありません。「思想」はあくまで味付け程度で、基本的には若い二人の身分違いの愛の物語なのです。そのため、やや甘いところも散見される。例えば順吉が出征しても、毎日午後3時になったらそれぞれの場所で同じ歌を歌おうと約束するのですが、日本に残っている小雪はともかく、戦場で生きるか死ぬかの戦いをしている順吉が上官の許しを得てひとりで歌っているシーンには、「いくらなんでも、ありえねー」と言わざるを得ません。(この映画では、順吉の父親以外は、基本的に若い二人の身分違いの愛に好意的です。)

そして、最後がすごい。戦地から帰ってきた順吉の眼前で、戦時中に肺病にかかった小雪は死んでしまうのですが、順吉は死んだ小雪を(戦時中に父が死んだ)屋敷に連れ帰り、婚礼にして葬式を行うのです。ここがこの映画の最大の見どころでしょう。

なお、順吉には親が勝手に決めた婚約者がいて、前半のみ登場しますが、この令嬢を演じているのが太田雅子。のちに梶芽衣子と改名して活躍した女優さんですけど、ヒロインの和泉雅子に劣らない魅力を発揮しています。

この『絶唱』は3度映画化されているそうです。最初は小林旭と浅丘ルリ子の主演で1958年、2度目が本作、3度目は三浦友和と山口百恵の主演で1975年。私は今ところ本作以外は見ていませんが、できれば他の2作も見てみたい。

身分違いの恋なんて今どき流行らないよと言われそうですが、どっこい、今だって某宮家の長女と某男性の婚約問題で大騒ぎになっているじゃありませんか(笑)。映画のように清く正しく美しくとはいかなくても、身分違いの恋はいつの時代にもあるものなのです。
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