アー君

Mのアー君のレビュー・感想・評価

M(1931年製作の映画)
4.6
先日視聴をした「緋色の街」の影響で、「メトロポリス」以外のフリッツ・ラングの作品に興味を持ったのが理由ではあるが、本作の「M」は映画黎明期(トーキー)の時代に革新的で素晴らしい作品であった。

少女連続殺人鬼とそれ追う警察、犯罪組織の対立を描いているだけではなく、当時のドイツの社会情勢や個人と集団の心理に対してラングは警鐘を鳴らしている。

劇場公開の2、3年後にドイツでは小政党であったナチスのアドルフ・ヒトラーが首相となり政権を握り、後にポーランド侵攻を機に第二次世界大戦へ向かっていく事となる。当時の社会情勢の不安と、やがて訪れる恐怖政治を象徴するような暗示的なメッセージを幾分か読み取る事はできるだろう。

演出が教科書的な模範でありながら独創性もあり、会議を並行して描いたシーンやカットの大胆な切り替わり、煙草の煙の演出効果など、当時としては斬新な映像技法が使われており記憶に残る映像が多かった。

赤信号みんなで渡れば怖くない。

サイコサスペンスの草分け的な映画というだけでも貴重な作品であるが、後半の群集心理から生まれた裁判ゴッコによる吊し上げシーンは、個人的な犯人の心情よりも、集団だけにみられる異常行動に疑問を呈する予想外の展開であった。

人間の持つ正義という道徳ほど恐ろしいものはない。

彼らを衝動的につき動かす群衆心理とは一体何であろうか? 彼らは単純でいつも暴力的であるのが特徴である。それは現在でも魔女狩り裁判のようなSNSによる集団的私刑、正義の名の下に行われる私人逮捕など、歴史からは何も学んではおらず、ポピュリズムによる扇動政治に振り回される愚衆は、ナチスが崩壊しても健在である。

当時の内閣府が1956年に発表した「もはや戦後ではない」という宣言は、特需による一時的な好景気から流行語となったが、現在の世界情勢は「もはや戦前である」。私たちはあの時代へと戻りつつあり、明日をも知れぬ身である。

最後の結びとして、哲人エリック・ホッファーの言葉をあえて引用したい。

A mass movement attracts and holds a following not because it can satisfy the desire for self-advancement, but because it can satisfy the passion for self-renunciation.

「大衆運動が支持者を惹きつけ続けるのは、
 自己への欲求を満たすためではなく、
 自己放棄への情熱を満たすからである。」
アー君

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