円柱野郎

十三人の刺客の円柱野郎のネタバレレビュー・内容・結末

十三人の刺客(2010年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

現将軍・家慶の弟とはいえ、人を人とも思わぬ所業を繰り返す斉韶のその悪辣さは凄まじい。
両手両足と舌を抜かれた一揆首謀者の娘など、やりすぎではないかと思わせるけれど、だからこそ怒りのあまりに笑い、武者震いが隠せない主人公・島田新左衛門(役所)に否が応でも同調してしまう。
それらを序盤で畳み掛けるように見せ付けられ、観客へ「暗殺もやむなし」と思わせるそのふつふつとした熱と勢いは大したもの。

公儀の密命を帯びた島田は信頼出来る仲間を集め、作戦を練り、宿場を要塞と化して敵を待ちかまえる。
大ざっぱに言うと「七人の侍」的な流れだけれど、武士道に生き、大義に殉じようとする侍の姿は渋く格好良い。
そして、ここで「七人~」とは少し違ったエッセンスとして、敵である斉韶側にこれまた「主君に仕える」という武士の筋を貫き通した侍・鬼頭半兵衛(市村正親)が居るんだけど、この存在が良いんだよね。
島田と鬼頭は同じ道場の門下で、お互いに力を認める間柄。
一方は大義のため、一方は主君のために武士道を貫き通す訳だが、その関係性が一層話を盛り上げます。
この二人の対決は善悪のそれではなく、道としての正義。
一層、観ている側は斉韶に対する怒りを強くするが、最期は泥の中でのたうち回らせるあたりは正しい。
斉韶が鬼頭の首を足蹴にした辺りは本当に驚いた。

こういった一連の熱や男臭さや壮絶な決戦場面の暴力描写などは、三池崇史監督の趣味性や実力が遺憾なく発揮されていて作品の題材にもマッチしていたと思う。
だからと言うのではないが、一方の三池監督らしさである妙な下ネタは話の流れ的には蛇足だったかなあと思われてしょうがない。
山の民(伊勢谷友介)というキャラクターは、話の主軸である武士の生き様を客観視させるための存在だけど、それを超えてコメディリリーフにしてしまうとちょっと違和感があるんだよね。
“不死身”というのもある意味ギャグなんだろうけど、凄惨が凄惨のまま話が終わっていた方が個人的には良かったかも。

とはいえ、この映画の知略と運と命を懸けた武士達、最期の死に様は実に見応えがあった。
戦いを通じて、島田の参謀役の松方弘樹は本当に時代劇スターだなと思わせる部分も良いね。
花を持たせているというか、終盤の大立ち回りなどは実にすごい。
全体的にはあまりに乱戦過ぎて細かいことはよく分からない部分もあるけど、とにかく「斬って!斬って!斬りまくれ!!」の叫びそのものの凄まじさ。
殺陣による大立ち回りだけでなく、大仕掛けなバリケードや爆発シーンなど現代的な視覚効果も上手く入れられているし、アクション時代劇というジャンルとしてこの映画は成功していると思う。

これが東映映画ではなく東宝映画というのが不思議で仕方がないが、これも時代性なのだろうか。
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