とうじ

七人の無頼漢のとうじのレビュー・感想・評価

七人の無頼漢(1956年製作の映画)
4.0
西部劇監督の中で、最も偉大だとは言わないまでも、個人的に最もお気に入りであるバッドベティカー(アンソニーマンと同率一位)の作品。
アンドレバザンが「捜索者」と「裸の拍車」を引き合いに出してもなお、「もはや戦後史上最高の西部劇なのかもしれない」と高く評価した本作は、正直ベティカーの最も優れた映画ではない。
「ライドロンサム」のラストシーンの悍ましさも無いし、「決闘コマンチ砦」の哀愁も無い。「ディシジョンアットサンダウン」のひりついた憎しみと暴力性も無いし、「A TIME FOR DYING」の暗いユーモアも無い。
そして、彼の最高傑作であろう「反撃の銃弾」の伝説的なまでの、顔立ちの整いには全く及ばない(バザンがこのうちのどれだけをみているかは謎である)。
そのもたついた感じは、本作の処理しきれていないアクションシーンに顕著に表れている。
にしても、やはり本作は素晴らしい西部劇であると言わざるを得ない。
愛する者、憎しみを持つ者、夢を見る者、金を欲する者、そして基調音に暴力を忍ばせる多数の無名の悪人。
彼らが砂埃や雨風に晒されて、織りなす孤独とつながりの物語、と言えば大袈裟すぎるが、しかし本作にはやはりヒューマニズムとしか言いようがないポエジーがあり、それを臆面もなく物語の原動力にする本作は、古臭いとは言えないほど純粋で、透明な魅力に溢れている。
「許されざる者」以降(パロディ以外では)マスキュリニズム批判としてしか機能しなくなった<西部劇>が、本作という仮面をつけて、翼をのびやかに羽ばたかせて滑空する姿は、不思議と、そのマスキュリニズム的な精神の頑迷さをもってしても、引きずり降ろされることはない。
それは、飛び回る空自体が過去のものであり、閉じたものであるという自覚が、本作にはないからであり、それを見る観客にとっては、それが一目瞭然だからである。
本作には、その有害とも取れる無垢性を超えて、現代の観客と不思議な連結を成し得る力を未だ感動的なまでに、持ち合わせている。
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