OASIS

パパ/ずれてるゥ!のOASISのレビュー・感想・評価

パパ/ずれてるゥ!(1971年製作の映画)
3.4
冴えない中年サラリーマンのラリーと妻のリンが、娘のジーニィの家出騒動でてんやわんやになるというミロス・フォアマン監督初期作。

娘ジーニィが歌手としてオーディションに参加している場面と、母親が娘が家に居ない事に気付いてあたふたと家中を探し回る場面が交互に描かれるオープニング。
この娘と妻達の視点が交わる事なく進む展開が親子の擦れ違う関係を表しているし、オーディション中に才能や見込みの無さそうな若者達が次々と落とされ切り替わって行く様子からは、あさ肉親・友人関わらずに希薄な関係性を築いている事や、夢や希望など明確なビジョンが持てず簡単に薬に溺れてしまうような者への批判的なメッセージが感じ取れたり。

「宇宙飛行士なんてクソくらえ 白衣の天使もクソくらえ お月様もファックしな 海も六月も海もファックしな
でもそいつらの前にまず私をファックしな」という強烈でどうしようもない歌詞の曲を唄う女性がいるし、そんな曲を聞いても何も感じないように周りの人達は覇気の無い顔をしているしでどいつもこいつもラリって病んでいて曲調は明るいものばかりなのに微かに感じる狂気が怖かった。

オーディションに落ちたジーニィは一旦家に帰るが、そこでもラリーに暴力を受けて再び家出。
ラリーは娘を探す最中、同じ様に家出した娘を探しているというアン夫人と出会い「家出した子供達の親の会」なる集会へと参加する事に。
とことん一つに混ざり合わない親子関係がその後も延々と交互に繰り返され、「子供達の気持ちを知る為には私達も同じ経験をする必要性がある!」と断言する集会の主催者によってついに大人たちまで薬の魔の手に。
大麻の回し吸い大会や脱衣カードゲームなどラリパッパなパーティーが大人達の間で繰り広げられ、ラリーも全裸になりエンジョイするがそのはっちゃけまくった姿をジーニィに目撃されてしまう。
その場面を頂点として笑える部分は多いが、本来なら人間が絶望的に堕落していくどうしようもない話であるのをブラックコメディへと変換しているせいか、その話の根底にはヒッピー文化を中心とする狂騒的で楽観的な考えに対しての警鐘があったりと読み取れる物は多い。

ポルノ映画のような変な邦題ではあるが「ズレてる」という意味では全く間違ってはいない。
娘が連れて来たいかにもヒッピーな彼氏の目の前で、その場にそぐわない曲を全力で歌い上げる父とそれを死んだ目で見つめ続ける娘と彼氏の間にあるのは「ズレ」以外の何物でも無かった。
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