映画漬廃人伊波興一

ミステリー・トレインの映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

ミステリー・トレイン(1989年製作の映画)
4.5
無秩序と無方向と豊かな生産と

ジム・ジャームッシュ
「ミステリー・トレイン」

聞いただけの話なので真偽は定かではありませんがジム・ジャームッシュはジョン・フォード嫌いだそうです。

フォードをこよなく愛する私など例えば「捜索者」一本を語る時でさえ、ひたすら素晴らしいだの、美しいだのという芸のない言質を弄しているうちに、ことによると、この「捜索者」という映画が大嫌いという方が世の中に存在するかもしれない、という当たり前の事実を忘れがちになってしまいます。

やはり映画は全ての万人から愛されるばかりでは流行だの、ブームだの、抽象的な枠に捉われがちになるわけで、例えば不条理なくらいにジョン・フォードが嫌いだ、という映画作家志願者方なほうがむしろ、ジョン・フォードの刺激の波及に身を晒すうちに、ジョン・フォードにちっとも似ていないけど、ジョン・フォードに比肩するような刺激的な作品を撮りあげてしまったりするのではないか、と近頃では思ったりしています。

ひとくちに刺激といっても観客動員数とか興行収入とか、撮影日数や製作予算といった具合に計量しうるインパクトからもたらされるものではなく、潜在性から潜在性に継承されていき、ある時ふっと明確な形で顕在化される計量しようのないインパクトからもたらされるものであるのは言うまでもありません。

ジャームッシュがいくらフォード嫌いを自認していても「ミステリー・トレイン」の列車の到着の導入部を観てしまえば、フォードの「静かなる男」や「リバティ・バランスを射った男」の刺激から継承されたのは誰の目にも明白だからです。

こんな具合に何がどのように作用するか分からない無方向性の面白さが映画史には確実に存在します。
「ミステリー・トレイン」という映画を、21世紀の生産的な無方向性の中に置いておくためにも、(名作や傑作)といった貧しい枠に閉じこめておくのは絶対に自戒すべきだと思う。

まだ初々しい我らが日本人観光客・工藤夕貴と永瀬正敏ふたりの身に何も起こらぬまま事が運ぶ不思議な時間推移も、何の因果か分からぬままプレスリー幻影の渦中に陥るニコレッタ・ブラスキの狼狽も、スティーブ・ブシェミの身に降りかかる理不尽な不幸(笑)も、それら全てはメンフィスの町で同一線上に発生します。

町に差し込む西陽の光線と、やがては包み込む夜の帳の推移の中で醸される抒情や滑稽さは、ここにしか出現しえない特権的な時間として脈打ちます。
それらが定まった方向による秩序ある調和などからもたらされるわけなどないのです。