シズヲ

青春群像のシズヲのレビュー・感想・評価

青春群像(1953年製作の映画)
4.3
イタリアの田舎町で過ごす若者5人(全員無職)の怠惰な日常。ネオレアリズモの気質を背負ったフェデリコ・フェリーニの初期作。フェリーニの故郷である北イタリアの港町をモチーフにするなど自伝的要素を含んでいるとのこと。後の監督としての作家性の礎にもなった映画であり、『ミーン・ストリート』や『アメリカン・グラフィティ』など後年の青春群像劇にも影響を与えているみたいだ。

行き場のないまま日々を過ごす若者達の堕落と迷走、あるいはダラけた閉塞感。モラトリアムを越えられないまま大人になってしまった連中のグダグダっぷり、そんな彼らを包む“いつもの町並み”。青春劇と呼ぶには無様で情けない倦怠感が生々しくて味わい深い。確かに後年の映画にも通じる苦々しさ(それはそうと無職の若者達もスーツでバシッと決めてるので時代性を感じる)であり、物語以上に登場人物と舞台が主役になっている。あとファウストはボコボコにされて当然だったのでしみじみする。

そして本作には確かなスタイルがあり、単なる鬱屈の観察に留まらない作劇の魅力が籠もっている。だらしなさにユーモアや普遍性があり、尚且つニーノ・ロータの音楽がムードを構築しているので、取り留めのない筋書きや日常のパッチワークにも引き込まれる。何というか間が抜けてて所々笑える。自堕落ぶりを書きながらもドライに突き放さないので、奇妙な心地よさがある。笑いも虚しさも含めて、悲喜こもごものような味わい。

冒頭の屋外でのパーティ→雷と豪雨で屋内に人がごった返す一連の描写など、要所要所で映し出される“喧騒”が印象的。中盤のド派手なカーニバルもそうだけど、堕落的な物語に挟み込まれる画面上の狂宴が強烈なコントラストとなっている。モノクロなのに画面が鮮やかに蠢いているので脱帽せざるを得ない。その狂騒が終わった後に残るのは、やはり無意味に時間を潰すような日常のみ。仲間達5人で海辺で過ごす場面やオープンテラスで寛ぐ場面など、気怠げな時間を切り取ったようなカットの数々が白黒映像も相まってとても好き。

あの結末に持っていくのならモラルドの心情をもっと掘り下げても良かった気はするけど、それでもラストシーンの余韻はやはり印象深い。まだ眠っている身内達の姿を追憶しながら去っていく最後のカットの何とも言えぬ寂しさ。どこか後ろ髪を引かれるような気持ちになってしまう。振り返ってみると物語の軸足を成しているのは遊び人のファウストが更生するまでの話なので、ラストも含めて“モラトリアムからの脱却”を感じられる。
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