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戦場にかける橋のgenarowlandsのレビュー・感想・評価

戦場にかける橋(1957年製作の映画)
3.7
イギリス人の日本人化のなぞ

何度も観たつもりでいたのにラストを覚えていなくて、けっこう衝撃でした。それも含め、この名作は何を伝えたいんだろうと、頭の中に疑問符がいっぱい。最初は日本軍がジュネーブ条約違反して外国人捕虜に酷い仕打ちしたのを描いた反戦映画だったよね、とポツポツ思い出していたのに、なんか雲行きがおかしい、イギリス人技師が指揮するまではいいんだけど、このイギリス人、日本人化してない?と話があらぬ方向に脱線していく。鉄道だけに。

日本人とイギリス人が敵味方を超えてコラボして橋と鉄道を作り上げた友情物語にも至らない。アメリカ映画ならそういう方向が好きそうなのに。

何がへんな感じするのかな、と考えたら、まず日本の十八番の土木技術にケチつけて、イギリス人の方が凄いと提案しているところでまず引っかかった。その前提は日本が敗戦国だからといっても飲めないのよ。

五十歩譲って、イギリス人の土木技術が日本レベルにあったとしましょう。それなら捕虜を休まず働かせたり病人も総出で参加させますか、と聞きたい。総出でフル操業しないと納期に間に合わないと、イギリス人が日本人化している。土木技術だけでなく、マネジメントそのものが日本人的。

現場のリーダーが同胞なら言うことを聞いて生産性が高くなる、ということなんだろうか。

実話の「死の鉄道」でたくさんの捕虜が亡くなったのは、日本の不手際が原因で、もっと上手く生産性上げる方法があり、日本の十八番を落とし溜飲を下げようとしたのか。でも、捕虜が労役を課せられること自体が非人道的で国際法では違法。なのに、日本人指揮官以上に捕虜に働かせるのはなぜ? 振り出しに戻って疑問符いっぱい。何のための橋梁建築だったんだろう? 

うーん。繰り上げ卒業して学徒動員で戦地に行って戦争映画を見ようとしなかった父すらも大好きだったこの映画。日本人にも受け入れられて拍手喝采されたのは日本軍の横暴を明かしたからか。でも、日本軍の狂気の描き方は生ぬるく感じるし、途中からサイトー(早川雪州)は、「戦場のメリークリスマス」のヨノイ大尉より軟化し、さらにはヨノイのように、そこはかとなく感じる同性愛的な視線と欧米文化への憧れ。演説はヒットラー的だったが、早川雪州の微妙な演技が戦場の荒っぽさを消してしまう。

ラストシーンにカタルシスを求めたんだろうけれど、イギリス人も亡くなり負傷者多数。このエンディングも実に戦時下の死なばもろとも、日本人的発想。極限状態で「日本的」な全体主義が感染してしまったかのように思える。

小説が原作のフィクションで、戦後の史実に合わせたダイナミックなラストシーンであったとしても、日本軍をやりこめたようにはあまり見えない。物理的なダメージは与えたが、同時にイギリス同胞への精神的なダメージがより大きく感じられる。犠牲者を出しても、敵の計画を阻止するのが非情な戦争だということか。それがものすごく日本的。

私なら日本をやりこめるなら、イギリス人技師が関わらず、酷い仕打ちを日本軍にされながら(これが史実)そのままあのエンディングを迎えるか、あるいは突貫工事で技術が及ばず脆い橋にさせるか、あるいはイギリス人捕虜達が技師の技術で橋に細工して弱点を忍ばせておけば、溜飲が下がりカタルシスになるのでは?

フィクションの名作に物申すのは気が引けるのでこの辺にしておきます。


関係ない話だけど、橋梁の美しさに惹かれます。昔、瀬戸大橋に関わった方のお話を伺って、橋は「遊び」がないとならない、その遊びもまた計算しつくされるが、初めて造る構造の遊びはどんなに計算しても、未知に近い。全体の構造以上に遊びを決めるのが難しい、と仰っていたのを思い出しました。文系に進んだけど、理系だったら迷わず土木工学に行きたかった。橋梁の構造計算とか設計に携わりたかった。橋のトラスに力学上の安定を感じ、そこに自然の美しさを感じます。

なので、日本人以上にお堅いイギリス人技師に疑問符いっぱいになりました。
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