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決断の3時10分のmasayaanのレビュー・感想・評価

決断の3時10分(1957年製作の映画)
4.0
これはお見事! ジリ貧の生活に出口を見出せず、町に借金をしに行くつもりだった農家の男が、行きがかり上、ギャング団のボスを酒場で捕えることに成功し、町からの報酬200ドルを手にすべく、そのボスの男を午後3:10分、ユマ行きの列車に乗せなければならない、というあらすじ。(行動開始が午前11:00なので、先が長いのなんのって・・・。見ている方の胃に穴が空きそうだ。)

列車の到着が運命の分かれ道であったり、応援に来てくれた町の男たちが、しかし、ボスを奪い返しに来たギャング団に怯え、やれ「生活が」、やれ「家族が」つって持ち場を離れていき、男が孤立無援の状態で戦ったり、という設定は、お察しのとおり『真昼の決闘』と同じである。

しかし、撮影に手間とお金がかかっているなあ、というのが全体的に好印象。カメラの滑らかな空間移動、被写体に落ちる影の深さ、無駄なく連続しているように見えて、実は何も映していないショットも少なくないのが面白かった。

例えば、ギャング団の偵察者がボスの居場所を発見し、仲間を連れて急いで町に戻ってくる途中、馬の疾走の連続ショットの狭間に、建物の間に立つ女の子の前を馬が横切っていくシーンが数秒挟まれているのだが、これがまったく不要でありながら実に美しい。

しかも、このショットは少し時間を置いたのちに再び挟まれており、今度は画面の奥にある家の扉が開き、母親に呼び戻された女の子が画面の奥へと走り去っていくのだが、馬の横切る動線と、女の子が走り去っていく動線が綺麗に直角にクロスしており、こんな細部で遊ぶ意味が分からないのだが、不思議と印象深い数秒の出来事であった。

また、列車の到着を待つことになる町の殺伐とした雰囲気はどうだろう。面倒に巻き込まれるのを恐れて住民たちが建物の中に隠れているだけでは演出し得ない、ディストピアの様相である。また、ホテルの一室に陣取った留置所では、農家の男とボスと呼ばれる男が二人きりになっており、「金に困っているんだろう? 俺を逃せば報酬の何倍でも払ってやるぜ」という、悪魔のような取引が持ち掛けられるのである・・・!
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