けー

秒速5センチメートルのけーのネタバレレビュー・内容・結末

秒速5センチメートル(2007年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

男性で新海作品が好きな人に「一番好きな映画は?」と聞くと、必ず最初に名前が上がる1本。

且つ、私は新海作品のターゲット層ではないんだなと感じる1本。

主題歌のone more time one more chanceは好き。


なぜ主人公はこんなにもネガティブなんだ…引きずりすぎでしょ…

あんなに可愛い子が健気にアタックしてくれてるのになんで無視するんだ、せめて無視しながら打ってるその宛先のないメールを相手に送る覚悟を決めろ…がんばれ、頑張れないなら切り替えてはよ次の恋に進め……


追記:閲覧注意⚠️
なぜこんなにも主人公のことが嫌いなのか考えた

2話で、相手の女の子が自分のことを好きだと″理解している″のに向き合わなかったところだ。

主人公は、女の子が自分を好いていることを理解している。これは、告白や確信に迫る言葉を遮ったり、受け流す描写から読み取れる。


そしてここからは私の考えだけれど、相手の好意を受け入れるにしろ受け流す・断るにしろ、相手の気持ちをまず自分が受け取ってから、同じ″惚れた腫れた″の土俵に立てると思う。

その点、主人公は適当に携帯をいじりながら無視していた。そのうえ、相手の告白の言葉を遮った。とても相手の好意に向き合い、受け取る態度とは言えない。その立場で「相手は自分のことが好きだ」と認識するのは甚だ失礼である。

「あの子はあの時、自分のことが好きだったんだ〜!まぁ、俺は何とも思ってなかったけどね😌」などと青春に浸りながらお酒を飲むのは勝手だが、あなたがそうしている間に相手の女の子はもっと素敵な男性と出会って恋をして幸せに生きている(奇しくも主人公が思い続けたヒロインと同じように。)そのことを忘れてはいけない。

主人公はそんなことしてないよ、むしろ2話に出てきた女の子のことなんて覚えてないよ、と思うかもしれないが、私は男性を信じていないので絶対に主人公も社会人になった後の寂しい夜などに思い出しているんだろうなと感じてしまう。あながち間違ってはいないだろうと経験的にも思う。

作品的な観点から考えると、もし主人公が後に2話のヒロインを思い出すことがないのであれば、ストーリーとしては1話から3話まで飛んでも良かったのではないだろうか。「ヒロインのことを一途に思い続けて社会人になった」で良いのでは?わざわざ高校時代を描く理由は?→自分のことを好いてくれる可愛い女の子との甘酸っぱい青春、これを″主人公の歴史″に入れたかった。手が届きそうだけど一歩を踏み出せなかった、あの日の思い出。秒速的やれたかも委員会である。


結論としては、相手の気持ちを受け入れず大切にせず、一人で悦に浸り、切なさを感じている主人公に共感出来ないどころか寒気を感じて、主人公ひいては作品自体が好きになれなかったのだと思う。


ただ、これだけ人気を集める作品ということは、普遍的な題材・感情であり、多くの人の共感を集めたということである。

「秒速5センチメートルが好き」という言葉を聞く度に追記のようなことをモヤモヤ考えていたため苦手な気持ちが強くなってしまったが、刺さる人がいるという意味で良い映画なのだろう。むしろ私が苦手になるくらい、たくさんの人が好きと言っている映画だ。(人の「好き」という言葉を聞いて何かを苦手になることはあまりない経験だろう)


自分の感情を言語化できたので、もうこれからは「新海作品で一番好きな映画は何?」という質問は封印しようと思う。
けー

けー