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自由の幻想のTnTのレビュー・感想・評価

自由の幻想(1974年製作の映画)
4.4
やっぱり頭おかしいこの監督。
終始意味不明な癖に最後まで観てしまった悔しさ。最後まで観ても意味不明。本当のシュルレアリスムがここにあると感じた。

この映画の例えをあげよう。レオス・カラックス「ホーリー・モーターズ」で主役の役柄が永遠とつかめない物語だったが、こちらは永遠に主役が誰なのかがつかめない物語なのだ。この人物が中心なのかなと思うや否や、その人物と会話をした相手にカメラがフォローしていき、今度はその人物の物語が始まる。しかもこのどれもが途中参加な訳で、人物の行動意図が全く不明なのだ。普段忘れがちな相手へのリアルな視点。相手の人生の途中に私達は出会っているという事実をまざまざと突きつけられる。そして、彼らはそれぞれまさに自由に生きているので、倫理や社会性から外れた行動をする。意図不明でさらにシュールな世界が浸食しており、私達が必死に整合性を取ろうとするのを拒み続ける。

幾つかのレビューにこれが夢であると言われていたが、そうは思わなかった。ブニュエルが夢だとして表現したのは「アンダルシアの犬」のみだと私は思う。今作は「自由の幻想」という題の通り、自由が本当に生み出すものについてへの超絶な皮肉なのだ。自由を求めてフランスはスペイン人を射殺した。それが自由というものか?ビルの屋上に登った男は下を歩く人間を射殺した。そんな自由許されるのか?そうした自由への疑問を、あえて自由が許された世界そのままを描くことで表現した。

それでも彼の映画に整合性を取ろうとすることは不可能だ。幽霊から電話がかかってくる。なぜか裸である。夢か現実かわからなくなってくる。しかし全て夢というわけでもなさそうだ。観客はカメラに従うしかなく、その眼前に広がる世界を見ることしかできないのだ。映画は元来魔術的であり、最初の劇映画監督であるジョルジュ・メリエスも簡単なマジックを映画の装置にとりいれた。ブニュエルはそうした映画の魔術性をそれのみで語ることをしてきたのだ。触れることでその目の前のものを真実と判断する私達は、映画館という閉鎖空間で目のみで目の前を判断しなければならないのだ。だからこそこれ全てを夢と言ってしまえる。しかし、これはシュールな別世界なのだ。シュルレアリスムの語の意味を調べてみると"超現実"と出てくる。夢でもなく幻想でもなく、この映画は"超現実"なのだ。

ブニュエルだから許された映画作りだった。有名な出演陣をこんな小出しに出演さるとは。そしてこの脚本で映画を撮りきる力量とは一体…。逆に映画とはこうあるべき!というのが今現在も根強いのだなとブニュエル作品を観て反面教師的に思った。ある意味では自由を皮肉ったわりにブニュエル自身には自由な制作の場があったのだ…という一番の皮肉。
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