月うさぎ

そして誰もいなくなったの月うさぎのレビュー・感想・評価

そして誰もいなくなった(1945年製作の映画)
3.5
アガサ・クリスティの代表作の一つ「そして誰もいなくなった」の映画化作品。ルネ・クレール監督作品ですがフランス映画ではありません。
5回ほど映画化されている中で最も古い作品らしいですが、これが「最高」と評価されています。…消去法の中で。とあえて苦言を呈しておきます。

原作があまりにも名作であり、よく知られている事の他、完全なる映像化は非常に困難です。
「そして誰もいなくなった」の原作小説は読者の心理を利用した「叙述ミステリー」だからです。
推理劇ではなくて、むしろホラーです。それも超一級の心理的な恐怖を描き切っています。
他の映像作品では、どうもホラーの側面を強調したいがために情けないB級作品にしてしまう傾向があるようです。びっくり箱のような脅かし、邪教的なおどろおどろしさや、絶海の孤島を不気味に設定したり。
どれも原作の品を壊すものです。
観客にもっと刺激を。と考えると結局はキッチュな安っぽい映画になってしまいます。

本作の恐怖は殺人の恐怖というよりも、「隣人を疑う恐怖」なのです。
常識人の顔の裏にひそむ狂気への不安と命の危機。
そして閉鎖空間における極限状況に張りつめた精神がいつまで耐えられるのかという崩壊の懼れ。
それが映像と演技でどこまで表現できるのか。監督にも役者にもカメラマンにも相当な手腕が必要でしょう。

その上、原作のテーマは恐怖ではなく「罪と罰」です。非常に宗教的、哲学的な主題を含む作品なのですから。

ルネ・クレール版はゴシック調の怖さではなく恐怖を比較的さらりと描いている点が特徴的。今観ると、モノクロ映画である事も、非日常感の演出の助けになっている気もします。影の使い方など、モノクロならではの効果という気がしました。

クリスティ・ファンの方は、本作の原作は小説ではなく、クリスティ自身が脚本を書いた「お芝居用のストーリー」を採用している点に気をつけましょう。
重苦しい結末ではなく「映画」としてカタルシスがあるような、美しさを感じ品よくまとまった作品になっています。

*小説と芝居とでは結末が全く異なります。お芝居好きのクリスティが自身でリライトした別バージョンがあるのです。
舞台から「誰もいなくなった」というストーリーでは(当時の)演劇では舞台が成り立たないと考えられたからです。
この映画を「改変だ」と非難する人がいますが、それは知識不足というものです。あらかじめご承知おきください。

とはいえ、お芝居の都合で採用された結末よりも、小説の結末の方が私は大好きです。
残念な気持ちになる事も含めて、その重さと衝撃度と深さにおいて。

いつか「そして誰も…」の完全な理解者が現れ、小説版の完全な映画を作ってくれる日が来ることを願っています。
月うさぎ

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