YasujiOshiba

ノートルダムのせむし男/ノートルダム・ド・パリのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

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U次。23-72。なぎちゃんのリクエスト。おいらもセミナーの準備。ともかく目がゆくのはロッロブリージダの達者ぶり。歌は歌うしダンスもみごと。フランス語はもちろん、英語版も自分で吹き替えしたという。時にイタリア語の歌声も混じるのは、いかにも流れものの「ジプシー」風情を出したかったのか。

今では差別用語とされる「ジプシー Gipsy 」だけれど、これは「エジプト生まれの人 Egyptian 」の短縮形「gipciyan」に由来。なるほど映画のなかでロッロブリージダが依代となったエスメラルダも、じぶんは「エジプトから来た」と繰り返す。実際、彼らのなかには「エジプト人」を自称する人々もいて、アレキサンダー大王に従って移民したエジプト人の末裔であると主張しているらしい。

日本語のタイトルに「せむし男」とのあるのは英語タイトル(The Hunchback of Notre Dame)から来ているのだろう。フランス語タイトルはヴィクトル・ユーゴーの原作と同じ「Notre-Dame de Paris」(ノートルダム・ド・パリ)だけど、イタリア語でも「せむし男」(il gobbo )が使われ「Il gobbo della cattedrale」(大聖堂のせむし男)として公開されている。

その「せむし男」ことカジモド(アンソニー・クイン)は、1482年のパリの公現祭の日に「愚者の王」に選ばれることになる。選ぶのは奇跡の広場と呼ばれる地区に住むサバルタン、すなわち泥棒や物乞いのような人々、マルクスが言うところのルンペン・プロレタリアート。彼らを「不可触民」(athínganos)と呼ぶならば、そこから派生したイタリア語の「zingaro」を経て、ジプシーのエスメラルダと通じることになる。

フランスでの撮影。全編セット。そこそこ大掛かり。衣装も艶やかで人手をかけている。それだけで眼福。なによりの眼福は、しかし、ロッロブリージダ。役名のエスメラルダはエメラルドに由来。かのエジプトのクレオパトラが愛した宝石だという。しかし、エメラルドはエジプトの王女が愛して以来珍重されてきたものの、新大陸で大量に見つかり価値を下げる。価値は下がってもその輝きは同じ。人々を魅了してやまないのがエスメラルダなのだ。

ときは15世紀。魔女狩り全盛の時代。ジプシー娘にして怪しげな魅力を放つエスメラルダは、その価値はすでに暴落させながら輝くエメラルドなのだ。だからこそ、ユーゴーの原作では処刑される。そしてそこに働く力を、かの文豪はノートルダム寺院の落書き「Ἀνάγκη」(Anánkē)に見る。

それはギリシャ神話の女神アナンケーのこと。「運命、不変の必然性、宿命が擬人化されたもの」とされるが、ローマ神話では「ネケシタス」(Necessitas)と呼ばれる。なるほど「必然」(necessità)ならば、その悲劇的な運命からして「FATALITE」 (it. fatalità)。すなわち「宿命」。まさに死すべき運命。

とはいえ、生きとし生けるもの(mortale)が神(im-mortale)でないなら、死にゆくもの(mortale)であるのは自明。大切なのはいかに生きるか。いかに生を輝かせるか。だからこそエスメラルダは、クレオパトラ同様に、「愛」に人生の輝きを見出そうとする。首を吊られるところだったピエール・グランゴワールを助け、鞭打たれながら渇きを訴えるカジモドに誰も与えようとしない水をやる。それらの愛は、あの奇跡の広場のサバルタンたちが「fr. la charité/it. la cartà 」と叫んでいる「慈愛」であり、ギリシャ語ではアガペーと呼ばれるものなのだ。

しかし、そのエスメラルダ滅ぼすのはもうひとつの愛。それこそは「エロス」。彼女が恋におちるフェビュス(ジャン・ダネ)が、その名(Phoebus)のとおり太陽を意味するのならば、それはアポロのことであり、近づけば焼けて落ちるしかない。そうだとしてもエスメラルダは愛を諦めることがない。だからこそ、此岸へ旅立つ間際に「C'est beau, la vie」(人生って美しい)と口にすることができたわけだ。

そんな15世紀的な物語を駆動するのは、エスメラルダの美貌にエロス的な情熱を抱いて苦しむ知識人クロロ。その依代はアラン・キュニー。ぼくがスクリーンで初めて見たのは『甘い生活』(1960)でスタイナーを演じたとき。核戦争に脅かされる冷戦期の世の中と未来に絶望し、こんな酷いものを見せるくらいならと子どもたちを道連れにする知識人。

この映画のフロロもまた、最先端の科学(錬金術)に通じ、エロス的な情熱を抱き、俗世の迷妄(魔女狩り)に加担する。科学と迷妄の組み合わせがもたらす悲劇。原発事故(3/11/2011)にもパンデミック(Covid-19) にも、同じ悲劇を見たし、その悲劇は今なお続きながら、エスメラルダの首を吊ろうと手をこまねいているわけだ。
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