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晩春のkojikojiのレビュー・感想・評価

晩春(1949年製作の映画)
4.4
1949年 監督・脚本:小津安二郎、脚本:野田高梧 #2022-338
●笠智衆(曾宮周吉)
●原節子(曾宮紀子)
●杉村春子(叔母のまさ)

 原節子が若く、若さの激しさが時に表情に見えて非常に新鮮に感じる。改めて彼女の魅力がわかった気がする。
 笠智衆も若い。まだ、朴訥とした演技は、演技の色が残っているが、この若さであれが出せるのは天性としか言いようがない。彼の味は、小津作品で磨かれていったに違いない。
 原作は広津和郎の「父と娘」
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 大学教授の曾宮周吉は娘の紀子(原節子)と二人、鎌倉で暮らしている。周吉が紀子の縁談を心配していたある日、叔母のまさから見合いの話を持ちかける。紀子は、父をひとりにするわけにはいかないと言って断ろうとする。まさは、周吉にも再婚の話があるからその心配は要らない説得する。紀子は周吉に対し、本当に再婚する意志があるのかと問い詰め、周吉が頷く。結局、紀子は結婚を承諾する。
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 紀子が結婚を承諾する日はこの映画の一つの山場だが、その前に小津はとんでもない笑いを用意している。しかもあの杉村春子にやらせる。
 周吉とまさが二人で行った神社。お参りをした後、紀子の今日の返事について話しているが、突然まさが小走りで走っていく。何をするのだろうと思っていたら、まさが落ちていた大きながま口を拾って言う。「今日はがま口を拾ったからきっといいことがある」
と懐にいれてしまうのだ。周吉が唖然とする。ここは笑います🤣こんな場面で、こんな脚本書くか?!さすがに喜劇作家だ。

 そしてもうひとつ、その夜、二人で紀子が帰って来るのを待っている。
まさがいう。「やっぱり名前を気にしてるのかしら、熊太郎。熊太郎って言ったらなんかもうこのあたり(胸に手をやり)毛だらけのようじゃない!紀子ちゃんが嫁いだあと、私はなんて呼んだらいいの?熊太郎さんだったら山賊を呼んでいるようだし、熊さんだったら八っさんと呼んでいるようだし、だからって熊ちゃんとも呼べないじゃない」
 この掛け合いを杉村春子と笠智衆がやるんだから、笑い転げるしかない。だから小津はすごいんだと改めて感心した。

 もちろん、この後の紀子と周吉二人だけの会話は泣きます。そのために先程の笑いを準備していたに違いない。笑いの後の涙ぐらい堪えるものはないことを、小津は熟知しているのだ。

 この夜の嫁ぐといった娘に対する父の言葉。最後の京都旅行の夜。花嫁姿の原節子。涙が止まらない名場面は目白押し。

 世のおじさま達、観てないなら必見ですぞ!

 今日も、泣いた、泣いた!
(独り言)
女の子なんてつまらんもんだ。せっかく育ててもいつかは嫁に行ってしまう!



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