ほーりー

晩春のほーりーのレビュー・感想・評価

晩春(1949年製作の映画)
4.1
どうでもいい会話だけであれだけ間を持たせるなんて、やはり小津安二郎監督はとんでもない監督である。

小津安二郎のターニングポイントとなったと言われる『晩春』。いわゆる小津調を確立した作品でもある。

でも小津のことを芸術派の巨匠としちゃって作品を味わうという鑑賞態度はあまり良くないような気もする。小津はやっぱりシュールな会話劇を楽しむべきだと思う。

一番有名なのは笠智衆と原節子が京都に旅行に行った晩、いきなり壺のカットが挿入される場面でのいわゆる壺論争というやつで、あれに何か意味を見出だそうとするのはちょっと違うような気がする。

前に武田鉄矢の「昭和は輝いていた」で小津特集をしたとき、武田鉄矢と崔洋一監督が壺について熱く語っていて、特別ゲストの司葉子がちょっと呆れて「たかが壺でしょ(笑)」と言ってたのを見たことがある。

たかが壺だと思うけどね。ただそういう深読みをさせてしまうのも名作ゆえにだろう。個人的に小津の楽しみ方は例えばこんな箇所である。

「じゃお父さん、奥さんをお貰いになるの?」
「うん」
「お貰いになるのね、奥さん!?」
「うん」
「じゃ今日の方ね!?」
「うん」
「もう決まってるのね!?」
「うん」
「本当ね!?本当なのね!?」
「……うん」

これをですね、笠智衆と原節子の顔どアップをカットバックで映し出されるもんだから思わず吹き出してしまう。

しかも、最後の「うん」の返事の前に少し間があるところがミソで、ラストを知っててもう一度観ると、なるほどなぁ!って感心させられた。

あと可笑しかったのはお婿さんの名前を気にする叔母役の杉村春子。いいじゃないか熊次郎でも寅次郎でも(笑)

しかもその肝心な熊次郎さん、本編で一度も登場しない。小津監督にとってはまさに婿が誰であろうがどうでも良いのである。

俳優陣では、常連の笠智衆を筆頭に、原節子(本作が初小津映画)、杉村春子、月丘夢路、三宅邦子、三島雅夫、宇佐美淳、桂木洋子と豪華な顔ぶれだが、やっぱり原節子がピカイチだと思う。

黒澤明の『わが青春に悔なし』を観たときにも感じたが、"睨み付ける" という行為がこれほど上手い女優は他にないと思う。

自分の気持ちも知らないで若い奥さんを貰おうとする父親が嫌になってグッと睨み付けるがその目線の鋭さは、田中絹代だろうが山田五十鈴だろうが高峰秀子だろうが絶対表現できないと思う。

内容面においては、京都旅行最後の日、娘を諭す笠智衆の言葉が大変素晴らしく、『招かれざる客』のスペンサー・トレイシー、『のび太の結婚前夜』のしずかちゃんのパパと並んで感動的だった。

なお劇中、ゲイリー・クーパーの『打撃王』について言及するシーンがあるが、『打撃王』の日本公開が1949年3月なので本作の公開の半年前になる。こんなタイムリーなネタをよく突っ込んだなぁと思う。

■映画 DATA==========================
監督:小津安二郎
脚本:小津安二郎/野田高梧
製作:山本武
音楽:伊藤宣二
撮影:厚田雄春
公開:1949年9月13日(日)
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