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20世紀少年<最終章> ぼくらの旗のharunomaのレビュー・感想・評価

1.4
カール・バルト
クレーシスは、自己完結的な・人間と接触しない・人間から接触できない、ちょうど人間の頭上に吊り下げられているガラス球のようなものではない。
それは人間とかかわり、人間に向けられている。人間にとって単に無縁なものではありえない。それは上からくだって、人間のあらゆる領域に入り込こみ、それを斜めに貫通する。

危機神学の時代に入ったということか、それはまさに、人間の人生、人権を破壊するものたち、戦争が行われる事態そのものでもあるのだが。
テクストに帰れと、それはそれを通じても通じなくとも、啓示宗教そのものをもう一度見つけなければ、いつでも人間による人間の問題として、不在のままカルトは非人間的なものを跋扈させる。保守と自認するものどもが、まんま反日カルト反社会的組織と連んでいることにおいて、ことほど整然とした順当なこの事件の帰結が、今日なのだろう。
単なる個別の自由における、投票率100%であれば、一国の民主主義においてはすぐさま解決されることであるようにも見えるが、どうだろうか。

石橋蓮司の妻が緑魔子だと初めて気づいた。素晴らしい。
というか最後のあれは、結局石橋蓮司が竜馬暗殺(ああ、 田村正毅)から続いていつまでも70年代が強いかのよう。
ともだち内閣もそのまま現実だったという。
カンナは最悪のキャスティングだろう、原作はあんなやる気も知性もない天然顔でもなく、族長として啖呵も切れていない。人間の闘いには興味はないが、危機神学の時代は、闘争の動きそのものを駆動させる。
法政大学学生運動中退らしいの堤幸彦は、やはり『溺れる魚』以外は、どこまでもクソ映画である。抵抗も、レジスタンスも、国民も、市民も、死も不在のまま、クソゲーが侵略として描かれる。やはり馬鹿だ。このような知性が日本を代表している。
長すぎる浦沢直樹の原作は好きだが、トヨエツ以外に一体何を観ればいいのか。
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