最初のパーティーのシーンでしつこく自分の研究について女に付き纏いながら自慢気に話すシーンはマイケルジャクソンのスリラーのオマージュだろうか。
こういうジャンルの映画って大体話が進むにつれてもっとスケールが大きくなっていくのが多いけど何せ研究の発表前で最初に出会った女が恋に落ちた相手でジャーナリスト、その女と編集長は元恋人同士という言ってしまえば物語を動かすのに必要な最小限のドラマ性を与えたのみでほんとに当事者性が強い。それくらい超シンプルなのにここまで印象深いのは、よほど嫌悪感を抱かす見せ方、ハエ人間の造形に自信があったんだろうなと思える。逆に言えばそこに自信があったからより効果的に見えるように物語性をシェイプしたのかもね。
あと、かつての恋人、恋半ばでハエ人間になってしまった男に対して女はあんなに慈しみを発揮できるのは、母性だなあって思った。
ああ、ほんと夢に見そうだ。
かわいいダンカンハエ人間思い出して寝よ。