せみ多論

ザ・フライのせみ多論のレビュー・感想・評価

ザ・フライ(1986年製作の映画)
3.5
冒頭からの切込みの速さ、テンポ、クリーチャーのグロさに言うことなし。転送ポッドから醸し出される、いい意味で古い近未来感。ヴィデオドロームでも大変楽しませていただいたが、商業的にも成功した本作も勿論のこと楽しませていただきました。

登場人物も少なく話もわかりやすい。
研究一筋できたような主人公セス・ブランドル、
彼と恋に落ちる記者のヴェロニカ・クエイフ、
ヴェロニカの元カレで上司のステイシス・ボランズ。
ほぼこの三人で、舞台もセスのラボがメイン。非常にシンプルにまとまっているので唐突に物語が始まるのにもかかわらず、ついていけないことなど何もない。素直に感心してしまう。

ストーリーに少し触れると、主人公セスは物体転送実験のちょっとした手違いから、彼の遺伝子とポッドに偶然紛れ込んだハエの遺伝子とが融合されてしまう。徐々にその姿を異形へと変質させていく主人公の悲しみ、どうにか元に戻れないかともがいたうえでの、あのラストシーンのやり切れないような悲しみ。ここの見どころは抜群だと思います。

確かにハエ男に変わっていく主人公セスの造詣はグロイ。病院には侵入して恋人はさらうは、追っかけてきたステイシスの手足を溶かしちまうは、もはやモンスターさながら。この辺の描写はさすがはクローネンバーグ。ただ本作はそうしたグロテスクな描写だけに留まらない、セスの悲哀が印象強い。
ラストにおいて恐ろしい考えを実行しようとしてまで人間に戻ろうとした彼が、願いかなわず、諦め、愛する人の手によってその命の幕を閉じてもらおうとする、すでに言葉もしゃべれなくなっているセスを見るのがあまりに辛かった。

私はゾンビ映画が大好きでよく見るのですが、一番の理由は知人肉親を問わず主人公の親しき人々が何らかの原因によって異形になった時、それはもう完全に別の生き物・ゾンビ・モンスターとしてとらえるべきなのか、それとももはや我々を認識できないモンスターであっても変わらず、彼や彼女といえるのか。
この要素は必ず問われる部分だと思っています。それを明確にセリフなどにしていなくても必ずです。これに対して監督がどういう答えを持ってくるのかを観るというのが最大の目的ではあるんですが、今回のフライもゾンビ映画ではありませんが、自分がゾンビ映画に求める要素は大いにあったと感じました。

勿論続編も見ようと思います。監督はクローネンバーグではないようですが、それが吉と出るか凶と出るかは楽しみです。
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