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虹を掴む男のニューランドのレビュー・感想・評価

虹を掴む男(1947年製作の映画)
3.4
✔️🔸『虹を掴む男』(3.4) および🔸『アラスカ珍道中』(3.1)▶️▶️

観てない、観てても流しみてた、ヒューマン喜劇の、後には重鎮ともなった名優らの名作・ポピュラー作を、今更ながらある程度じっくり観る。
 『虹を~』。チョコチョコ部分を眺めたことはあったが、通しては初めて。撮影が名手リー・ガームスと気づく。確かにこの中断してはの妄想癖・白日夢嵌まりに、その主体なく情に流され気が弱い分、迷い逡巡しつつの人助けがはみ出しての、国際的犯罪計画(蘭最高美術品をナチから隠した場の黒手帳争奪)に絡め取られ、皆幻想と利用されてく作は、彼の締まった美学がなければ只取り留めのないだらしないものになったろう。当時のテクニカラーの再現は捺染式の真価があまりうまく行ってないが、その狙い・品格は伝わる。ダニーケイの仮装・楽器音楽の独自おさらい・椅子相手らの一人芸を写しとり、アクション格闘らと階段重ねや高い窓辺スペースの角度変らの現実背景存在力とのコラボ、蒼っぽいモノトーンになる顔に寄ってっての瞬間自分が(歴史的)英雄になる広大様式的幻想シーンの後腐れなし都度スッキリ戻り、幻想と現実化を跨ぐヒロインの原色衣装変移や雑誌のポスターや宣伝セットのドギツイ纏り他・画面の部分を焚き付ける赤や青ら原色入れ込み、母や婚約者や会社で抑圧され(発案力も横取りされ)てる一般シーンは重く強い色具合で現実的に締まり・いつしか寄るや長め横フォローらの柔軟自在カメラワークや・どんでんや90゜や斜めや細かく確かな角度やサイズ切替えが節度を保ち構図は見事に立体力を示し、一貫トーンは渋くもある。それらは終盤になり、気が弱く人がいいだけに見えた主人公の、ケイの洩れ表情からも、本質的恐い狂気面も濾し出してくる。妄想の中の本来の自分にも押し出され、「皆の狭量が短絡結論を作り押込め、僕の能力らを盗み出しもしてた」と宣言し、雑誌者校正係から副編集長へ、パートナーも自分主体に変えてく。ま、なんとなく、米日(タイトルだけのも)でリメイクされてく、無理のない品位ある魅力は分かる。作劇が節度を不思議に持ち、作中の隠謀や社会の歪みを透かして、ひとの本質の怖ささえみえてくる。ダニーケイは脆弱に見えて、深い業や闇的孤独を感じさせもするので、『博士の~』を演らせたらセラーズより凄かったかも。
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 『アラスカ~』。フレーム内説明者スペース、擬人化喋る魚や熊、他・人間キャラと変わらぬ動物、カメラへ向く語りかけ、老境現在から35年前へ飛ぶ突拍子なさ。
 それらは奇手と言うより直に親しみを投げ掛け、しかし、何より、ステージ芸や歌のなだらかさ、女を呪い又別物とする・本来この侭の筈コンビキャラのスクエア巧み基本と実のところだらしなさの憎めなさ、経緯や顛末はっきりしないイージー展開、早回しやスクリーンプロセス・ミニチュア・『黄金狂~』的雪山他大セットといったのを軽々しい使いこなす無限自在感ある拘り消す語り。のびのびとし、アクがない、主演コンビなど芸もたが、舞台やTV、要はおよそ映画的でない、そこに気取らずフランク人懐っこくいて全てをさらけ出してくれる、不思議で得難く貴重な空気を作ってる。ホープはともかく、所謂名作でのクロスビーの印象が覆る。
 売れない芸人コンビが半ばイカサマで纏まった金を手にし、未来に向け袂を別つも、1人の罠でゴールドラッシュのアラスカへの船へ共に。しかし、それには殺人を犯して金鉱の埋蔵地図を奪った無法者同じ二人組も乗ってた。偶々その秘密を知り、出し抜いて地図を奪う二人。地図の場に、その二組、父の仇と地図奪還誓った娘、そして彼女に善意協力と見えて皆を奪う計画の地元のヤクザ組、らが様子を探り合い、本格地図と恋の争奪混乱へと。二人は、絆・仲違い・反古・卑怯・底力・勝手ロマンス、を行き来するが、人間はより確められ、地割れで残った1人がワルの追手を一手引き受けて夫婦となる金を手にした二人を行かす、回想のケツになる。そして改めくだけた現在。体熱で座ってる雪が溶けたり、ラストのどんでん返し等、二人の1人の女への思い入れが、生々しく、結構この手のものには珍しく、リアルに伝わり来る。
 このシリーズ、昔他なのを見た気もするが、文句なく無駄な教え等なく、只、心地よく正直になれる好編。お高くなく、安っぽくくだけてる、平明さ。訓戒を織り込んだ『虹を~』と対照的。
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