風に立つライオン

人斬りの風に立つライオンのレビュー・感想・評価

人斬り(1969年製作の映画)
3.7
 1969年制作、五社英雄監督、原作司馬遼太郎、脚本橋本忍による幕末時代劇の秀作である。

 幕末の土佐は下士の出で土佐勤王党に加わっていた通称'人斬り以蔵'こと岡田以蔵(勝新太郎)の半生を描いたものである。
 もともと土佐の下士は秀吉に敗れた長宗我部家の子孫達で家康から送り込まれた山内家一党が上士として君臨する中で忍耐の日々を送ってきた為にハングリーで反骨精神旺盛なところがあった。
 坂本龍馬や武市半平太も下士である。

 監督は「権力闘争の中で使い捨てられた男の話、暗殺しかできないきわめて荒削りな、むき出しな男の、おろかであればあるだけの悲しさを描きたい」と演出意図を語っている。(by wiki)

 五社監督と言えば壮絶なアクションと鮮烈なエロチシズムがほとばしる鬼才なんてキャッチを目にするが、あながち間違ってはいない。
 TV黎明期に一世を風靡した「三匹の侍」は既にそのポテンシャルを内包していたし、ことバイオレンスのタッチは和製サム・ペキンパーといった趣があった。
 特に土佐物、極道物を描けば他の追随を許さない。
 本作は北辰一刀流を身に付けた天才的な剣術の才を持ち合わせた以蔵が下賤で浅薄、人がよい性格を上手く利用され殺戮の嵐に陥っていく様が克明に描かれている。
 
 序盤の見せ場は吉田東洋暗殺のシークエンスである。
 土佐藩主山内容堂の下で藩政改革を実施し開国派の中心人物であった参政吉田東洋(辰巳柳太郎)を武市の指令により土佐勤王党の那須信吾、大石団蔵、安岡嘉助の3人が暗殺する様を以蔵は陰で目の当たりにする。

 石畳の路上に降りしきる雨が打ち付ける。
 本物の石を相当数運び入れ石畳をあえて造り、 雨の跳ね返りに重厚感を出しているという。
 このシーンは時代劇の殺陣の中でも突出した緊迫感とリアルさがあると言っていい。

 そして以蔵は物陰に隠れこの一部始終を目の当たりにしながら呟く、

  「よし分かった!斬る前に
   '天誅'と言えばいいんだな」

 の一言が彼の全てを表現している。

 物語自体はいわゆる幕末ストーリーに沿って進むが、合間、合間に描かれる殺陣はやはりダイナミックで鮮烈である。
 京都に於ける幕臣暗殺のシークエンスで先斗町辺りの路地裏での殺陣は強烈な印象であった。
 京都の路地はそもそも段平など振り回せる広さではない。また、夏場は簾が下がっている家々が多い。
 以蔵は越後長岡藩士本間精一郎とこうした路地で対峙する。


 遠くで祇園祭のお囃子が優雅に鳴っている。
 先斗町の狭い路地裏に逃げ込んだ本間精一郎を追い詰めた以蔵は走り抜けざま抜刀する。
 瞬間、血飛沫が路地裏の障子戸に飛び散り、細格子が糸を引いたように斜めに切り裂かれる。
 凄まじい緊迫感の中に美意識が盛り込まれていて鮮烈な印象を残す。


 以蔵の癒し処に女郎のおみの(賠償美津子)が登場している。
 そこには酒色だけがある。
 つまみに出された大皿一面に貼り付けられた蛸刺しを軒並みすくってほうばるシーンを見るたびに晩酌は蛸刺しとなる。

 もう一人印象的なキャスティングとして以蔵と並び幕末の四大人斬りの一人で薩摩の田中新兵衛を三島由紀夫が演じている。
 五社監督が彼の自主映画「憂国」を観て白羽の矢を立て出演依頼したところ前のめりの快諾であったらしい。
 三島が割腹自決する1年前のことである。
 そう思って鑑賞するとやはり田中新兵衛の切腹シーンは異様に迫力がある。
 役作りのために三島が五社監督に、

 「テロリストの芝居で一番気を
  つけることは何ですか」
 と尋ねると、

 「テロリストとしたら一種の狂
  気じみたあなたの目だ、目の
  エネルギーだ、どう見てもあ
  なたの顔の骨相は犯罪者だ」
 と答えたという。(by wiki)

 確かに眼光鋭く殺気というものを醸し出す人物ではあった。この切腹シーンだけは自分の思い通りにやらせて欲しいとして監督に注文したらしい。
 本番で竹光ながらかなり自分の腹をえぐり、直後救急搬送されたという。

 土佐、薩摩、長州の三藩連合による京都奉行所与力4名を殺戮する石部宿の大天誅では北辰一刀流の腕前を持つ三島の「チェストー!」(鹿児島の方言で気合を入れて行けというかけ声)が聴ける。
 鹿児島から薩摩示現流の師範を呼び入れ新兵衛の剣法を取り入れ、真剣でやらせてくれとの注文を入れたりで相当入れ込んでいたようである。
 流石に切られ役の連中から「エー‼️」の猛反対が出て取り止めになったが、絡みのないシーンでは真剣に持ち替えたようである。

 これはあまり知られていないエピソードであるが、三島の市ヶ谷自決の数日前に広島県の瀬戸内海に浮かぶ江田島の元海軍兵学校の庭を帝国海軍の水兵の格好をした三島が庭を履いていたのを真珠湾の生き残り語り部が目撃しており、その語り部から伺った話である。
 最後の挨拶に訪れたということらしい。

 いずれにしても三島という人物は一つの世界を持ちながら、尋常ではないエネルギーでそれに埋没する性を持ち合わせていたのかもしれない。


 豪華配役陣の中に坂本龍馬を演ずる石原裕次郎がいるが、以蔵に優しく暖かく接し、温もりのある懐の深い演技は好感が持てるものの髷の横分けはいただけない。
 当時としては大スターでイメージ大切があったのだろうが昭和の僕ちゃんでもあるまいし、やはりひっつめにして欲かった。
 さらにこれは以蔵もそうだが東京弁を使っているのもいただけない。
 龍馬は土佐弁でなくてはいけない。
 そして如何せん存在感は勝、三島の比ではない。
 この龍馬に対しては変節漢として新兵衛は抜き身の構えで対峙する。
 

 まあ、大スターを配置してコマーシャリズムに徹してお祭的に創り上げた映画だと思えば然もありなんであるが、勝の怪演や三島の殺気、そして起伏のあるストーリー展開とダイナミックで緊迫感のある殺陣は文句なく面白いし、幕末の激動感もよく伝わって来る楽しめる作品だと思う。