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炎628のtakaoriのレビュー・感想・評価

炎628(1985年製作の映画)
4.2
2024年83本目

第二次世界大戦中の白ロシア(現在のベラルーシ)で行われた、ナチスの特別部隊「アインザッツグルッペン」による凶行を描いた、とても陰惨な戦争映画。ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルによるパレスチナでの虐殺と、第三次世界大戦前夜とも思える今の世界情勢の中で見ておきたい映画のひとつだろう。日本版DVDには、ロシア文学者の沼野充義による優れた解説があるので、記録も兼ねて抜粋して引用する。
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ソ連にとっての第二次世界大戦とは、ナチス・ドイツとの戦争を意味した。この独ソ戦によって、ソ連は2700万人もの人口を失ったと言われる。じつに国民のほぼ4人に一人が戦争で死んだことになる。途方もなく巨大な犠牲を払って、スターリンのソ連はヒトラーのドイツを打ち負かしたのである。
この巨大な国民的トラウマの記憶は、後に芸術作品によって繰り返し表象されることになった。 〔中略〕こういった戦争映画の系譜の中でも、鮮烈な映像美とあまりに衝撃的な残酷さによって際立っているのが、エレム・クリモフ監督 (1933-2003)の「炎628」 (1985)である。ここで 描かれるナチス・ドイツ軍による残虐行為はあまりにすさまじく、恐怖は黙示録的な破滅のヴィジョンの域に達する。映画にこれほどのことができるのか、と誰もが(それを賞賛する者も、批判する者も)衝撃を受け、見終わってからしばらく立ち 上がれなくなるほどの作品である。この映画の口 シア語の原題は「来て、見よ」 («Иди и смотри»)というが、これはまさに聖書の「黙示録」の、以下の箇所(6節7~8行)から取られた言葉である。

小羊が第四の封印を開いたとき、「来て、見よ」 という第四の生き物の声を、私は聞いた。そして、 見ていると、見よ、青白い馬が現れ、乗っている者の名前は「死」といい、それに地獄が従ってきた。

〔中略〕
一方、邦題の『炎628』は、多くの人に意味不明の 不思議なタイトルに思えるかもしれない。しかし、この「628」が、じつは、ナチス・ドイツ軍によって焼き払われ、滅させられたベラルーシの村の数だと知れば、この邦題もまた恐ろしい意味を秘めていることがわかって、誰しもぞっとするだろう。 ナチス・ドイツによって占領されていたベラルーシでは、住民たちがパルチザン部隊を組織して抵抗していたが、それに対して、ドイツの「アインザッツグルッペン」(特別行動部隊)は無差別に一般住民まで大量に虐殺したのである。クリモフの映画は、この史実に忠実に作られている。特に悪名高 いのは1943年3月、ハティニという村の住民149 名が全員、射殺ないし生きたまま焼き殺された事件である、ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺 を知らない者はいないだろうが、ベラルーシでもこのようなホロコーストが行われていたことはそれに比べると、はるかに知られていない。
〔中略〕映画の主人公は、パルチサンに自ら志願して入る、まだ幼い少年フリョーラ。しかし、 彼は実際には戦うことなく、すべてをただ「見る」 だけだ。自分の母も妹も殺され、恐るべき住民皆殺しを目撃することになった少年フリョーラは、髪は白く、顔は皺だらけ、まるで老人のようになってしまう。少年を主人公とした戦争映画の先駆的傑作としては、タルコフスキーの出世作『僕の村は戦場だった』があるが、クリモフの厳しいリアリズムに比べると、タルコフスキーはずっと抒情的である。
エレム・クリモフはこの作品によって国際的にも一躍高く評価され、ぺレストロイカが始まったソ連で映画人同盟の新しい議長に選ばれ、映画界の刷新に努めたが、やがて控折、2年後には議長を退いた。そして『炎628』の後は一本も映画を完成させることなく、亡くなった。エレムというロシア語らしからぬ響きの名前は「エンゲルス」「レーニン」「マルクス」の3つの名前の頭文字を組み合わせた、ソ連初期に流行った新奇な名前の一つで、彼の両親は熱烈な共産主義者だった。〔後略〕
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