イホウジン

炎628のイホウジンのレビュー・感想・評価

炎628(1985年製作の映画)
4.5
(一部終盤に関するネタバレあり)
戦争映画は映像美を追求すればするほど地獄になる?

快楽と地獄は紙一重な存在ということだろうか。
今作を観て気付かされたのは、戦争映画でもっとも戦争自体の狂気を感じさせるのは決まって映像が際立って美しい場面であるということだ。例えば「地獄の黙示録」における序盤の爆撃,塚本版「野火」におけるジャングルを一人彷徨う兵士の描写など、戦争そのものの不気味さや狂気はそれとは対極にあるような美しい映像から伝わってくる。普段から他の映画/メディアで認識してきているはずの「美」の在り方が「醜」い戦争のイメージにさえ適用されてしまうのは皮肉である。
そして今作のそれは終盤に発生する教会の焼き討ちだ。少し下のアングルから燃え盛る教会をとらえつつ、背景に不協和音な音楽と中に閉じ込められた住民の叫び声が聴こえてくる様は観客の五感にまで伝播されるまさに地獄そのものである。その前後のパートにおける住民とドイツ兵の感情の対比も含めて、今作を象徴するシーンになっていたのは間違いないだろう。
しかし今作が優れているのは、他の映像も負けず劣らず美しいということだ。確かに観終えると教会のパートがやたらと印象に残るが、「名シーン」と呼べるものは今作には数多ある。特に印象深いのは主人公の顔のクローズアップだ。彼の幼さとは真逆の存在である戦争の残虐さを目の当たりにして、みるみる表情が絶望的になっていく様は観ていて重くのしかかるものがある。泥沼の中を彷徨う場面や霧の中で牛の死骸の上に寝るパートも記憶に強く残る。ストーリーの悲惨さとは切り離しても、単純に美しい映像の映画として評価できるものだろう。
物語という意味で今作が興味深いのは、戦争映画にしては珍しく主人公が劇中の出来事に深くは関与しない「観察者」の立場にいることだ。確かに序盤こそパルチザンに入って意気揚々としていたが、別に彼自身が闘う描写はないし誰かを救うこともない。ただひたすらに戦争の暴力の下で振り回され続ける映画といってもいいだろう。しかしそれ故に観客が映画の世界へ入り込まざるを得ない状況が生まれるのである。主人公同様に周囲の人物に何も手をさしのべられないことにイライラしてしまうからだ。そういう意味であの絶望的な終盤も、映画自体が陰鬱さを煽っている面も否定は出来ないが、それと同じくらい観客自身が感情を補完している部分は強いだろう。
今作は一応はドイツ軍に対するソ連の立場を正当化する戦争映画でこそあるが、暗に両者の表裏一体さを指摘している映画であるようにも感じる。2つを繋げるのは「写真」だ。今作には2度の写真撮影のシーンがあるが、撮影者がパルチザンかドイツ軍かという違いを除けば、どちらも戦争それ自体の残虐さから乖離したものである。人を殺そうとする状況下でニコニコと笑っている様は傍から観れば異常そのものだ。主人公はきっと2度目の写真撮影でそれに気付かされたのだろう。戦争のリアルを直視しないことの罪は重い。

中盤が少し長く感じた。今作は大まかに3部構成だが、1部と3部の映像や物語の激しさと比べると、2部は割と地味である。あの淡々とした感じもまた戦争なのだろうが、ちょっと退屈だった。ラストも意外とダラダラしてて少しリズムが崩れた。

映画の感想を他の人に押し付けることは私は嫌だが、しかし少なくとも戦争映画については観た誰もが「これを現実には目撃したくない」と感じるものでなくてはならないと思う。そういう意味では今作は成功した映画と言えるだろう。
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