脚本が無いこういったプロセスを踏んだ作品が、同じ作品でもスタンダードな創られ方をした場合とどう違うかというのは興味深いものだ。
マイク・リーが監督しなければ、作品がこれほどの強度を持つことはなかったように思える。
フィクションとは何か、リアリティとは何かというのは難しい。脚本家、あるいは監督によって予め用意された役を真しやかに演じる事がリアリティなのだろうか。『秘密と嘘』では人物のハコだけが用意されている。ハコに彩りを施すのは役者自身だ。役者自身が考え、感じた事が台詞となり人となりを形成し表現される。
そこが面白いところであり、『秘密と嘘』はフィクションやリアリティに関して映画というものができうるひとつの可能性、あるいは提示である。