1950年のイタリア、シチリア島。
独立運動のゲリラ戦を首謀していた山賊サルヴァトーレ・ジュリアーノが暗殺される…。
主役のいない映画。
中心であるはずのジュリアーノが、始まってすぐに死体として登場するので、そのポッカリとあいた空隙を埋める模索のような形で進んでいく。
類似した形式を挙げるとすれば、『市民ケーン』とか『桐島、部活辞めるってよ』みたいなタイプ。
ただその2本よりもドキュメンタリー色が強く、誰にも感情移入できないジャーナリスティックな描き方。
結果として、最も存在感が強いというか、影の主役として浮かび上がってくるのが、舞台となるシチリア島そのもの。
市民への圧政、警察や憲兵隊とマフィアとの癒着、大義無き独立運動…などなど、イタリアの負の部分が凝縮されたような島内の暗部が黒々と姿を現わす。
これだけ混沌とした風土からだったら、コルレオーネ・ファミリー(『ゴッドファーザー』)が出てくるのも深く納得させられてしまう、ヘヴィーで背筋が冷え冷えとしてくるような作品。