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ヴァージン・スーサイズのMTMYのレビュー・感想・評価

ヴァージン・スーサイズ(1999年製作の映画)
3.9
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セシリアが自殺未遂をした——それが1人目だった。テレーズ、メアリー、ボニー、ラックス、セシリアという美しい5人姉妹をもったリスボン家は、近隣の少年たちの憧れの的。末っ子のセシリアの自殺、親の反対を押し切った男女の交流、ダンスパーティ、恋、失恋、青春、軟禁。彼女たちは何を考え、あの日々を過ごしていたのか…。それは1970年代、アメリカのミシガン州で起こった。少年たちの胸に刹那に永遠に刻まれた少女たちのお話。
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美しい姉妹たち、風に波打つ長い髪、危うい素肌、ベールにつつまれた眼差し、厳格な家族。2015年のトルコ映画『 #裸足の季節 』を思い出しました。こちらの方が完全にあとですが…。

少年のナレーションで始まり、起こってしまった”あの頃”が語られていきます。
宗教や人種は違えども確かに『裸足の季節』を彷彿とさせる展開でしたが、決定的に違うと思ったのが、そこに『 #ピクニックatハンギングロック 』の少女たちのような、”解けない謎”で真相がカムフラージュされているということ。
そして、語られる視点が少女たちではなく、あくまでその彼女たちを見守っていた少年たち、ということ。

キラキラとした可愛らしい雰囲気で始まったこの作品を覧終えた時に、単なる「あの頃、あの子たち」のお話では済まない、何か心に刺さって抜けない棘があって、暫くずっとそれを考えてました。

これが絶対合ってるとは思いませんが、
きっとこの作品は、少年たちの抱く”少女”というある意味で彼らとは一線すら交えない生命体への理想と憧れ、または抱く幻想の儚さの喩えなのではないかなと思いました…
少なくとも、彼女たちのあの頃は、少年たちから推測される”ファンタジー”なんじゃないかと。

挿入される姉妹たちの幻想的なセピア色な映像や、行けもしなかった合同旅行のポラロイド。
ラストシーンで空き家になったリスボン邸宅を少年たちがライター片手に眺めるシーンからも、そんなふうに思います。

なので、すごく極端なことを言うと、「あの5人姉妹、もしくはリスボン家自体が実在せず、少年たちの妄想(ヴァージンな青春)」っていうことです(この手の考察が好きなんです許して下さい笑)。
題名も、きっとあの少女たちのことだけでなく、その青春から卒業(“自殺”)した少年たちのことも言えるのかなと。

これは本当意訳しすぎかもしれませんが、、
当時ラックスと両想いだった人気者トリップという青年が、突然今の姿になってその過去をカメラに語る場面が挿入されます。その際、「そろそろ戻る時間ですよ」と看守から呼ばれ、トリップは今逮捕されてる残念な身だと判明します。
これももしかしたら、少年たちの憧れの的であったラックスに酷い仕打ちをした男への一種の”仕返し”として描かれているとしたら…ちょっと面白いなと。

結論、色んな意味でこの作品は卒業映画なのかなと思います。

ともかく、不思議なオーラを終始纏った映画でした。
いろいろな考察が溶け合う作品なのかなあと思います。
コッポラといえば、みたいな感じで出てくる #キルスティンダンスト も若くて可愛らしかったです。

たまにはこういう作品も観ると、いい気分転換になります🌿
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