とーるさんし

柳と風のとーるさんしのレビュー・感想・評価

柳と風(1999年製作の映画)
3.9
発電所で金の工面をする友達を、離れた位置に立ってる主人公視点から映して、何を話しているかは全く分からない。ヒッチコックもよくやっていた会話場面における視点の統一描写で、私が「キアロスタミは精神的ヒッチコキアン」と主張する所以。

勿論監督の功績もあるだろうが、少年が金を捻出したり、ガラスを運んだり窓枠に嵌めようとしたりする、そういった日常の些細な描写にサスペンスを見出す、キアロスタミ脚本の圧倒的ヒッチコキアンぶりたるや。

そもそも冒頭からして割れたガラスをほぼ映さないトリッキーな語り口なのだ。わざわざ雨を生まれて初めて見る転校生を設定し、雨が教室内に吹き抜ける描写を経てガラスが割れたと分かる(ただ、割れたガラスは映さない)。そして転校生が雨を見に教室を出ていって、廊下にカメラが切り替わると、ようやく主人公が手前に現れる。そしてその主人公の視点から教室を出入りする先生や子供の話を聞き、今日中に代わりのガラスを補填しないと退学処分になることが明かされ、ここでようやく割れた部分のガラスが映される。

普通の監督ならさっさと割れたガラスを映してしまいそうなところであえて映さない。こういうのがキアロスタミの妙。

それにしても子供に厳しいのは相変わらずで、クライマックスなど映画とはいえ、あまりにも酷な描写に唸る。手伝ってくれそうな用務員を呼び止められるかどうかでサスペンス醸成(カメラ位置が窓枠越しであることにも痺れる)するのは大変面白いが、一方で子供が本気で可哀想になった。破局が訪れた際も音のみで描写する簡潔さが逆に心痛む。

可哀想といえば、窓ガラスを運搬している途中で、序盤に出てきた風車が後景に映されるのも残酷。というか、終盤の道中全てが残酷で居た堪れない気持ちになる。だからこそ、夕景のシルエットで綴られた希望的なラストショット(まるでアメリカ映画だ!)に清々しさを覚える。
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