タンシロ

フルメタル・ジャケットのタンシロのレビュー・感想・評価

フルメタル・ジャケット(1987年製作の映画)
3.7
現代人ごときがわかったような顔で過去を蔑ろにするなと言われているような気分になった。これは、ジョーカーという人間性をどう見るか、試されているような映画に感じた。
結局、ジョーカーという人間は、戦争は過去の過ちだと、繰り返してはいけないと、後出しジャンケンで分かった気になって上から目線で、戦争や戦争に洗脳された兵士たちを現代社会から皮肉る私たち現代人のメタファーなのではと勘繰ってしまった。
ハートマン軍曹や軍隊規律や空気感に従順にならず斜に構えては、皆から邪険にされるデブ二等兵を手厚くフォローする。でも結局、堪えかねてデブ二等兵を皆でボコる時は同調圧力に負けてしまい、誰よりも彼をボコってしまう。ベトナム戦争編でもそうだ。戦闘の悲惨さや恐怖を、知った気になっては良い調子で余裕ぶってはみるものの実体験に乏しい。少ない戦争実体験も数的有利と自分の姿が見えない場所からの機銃の乱発でオラつくだけ。born to killのヘルメットを被り、ピースマークのバッジを目立つ場所に付けていることにも深いポリシーはない。これは周りからの特別視を形成するための道具であり、人とは違うと思われたい薄っぺらい人間のあらわれ。そして最後には、スナイパーと対峙したときについぞ腰を抜かしてしまう。後輩カメラマンの新米とは思えぬ機敏なフィールドワークに助けられ、羞恥心と嫉妬心にまみれた黒い感情が芽生える。
最後の引き金を引くシーン。
人はどれだけ着飾っても、武装しても、うそぶいても、逃げようのない真実に対峙したときに本領が出る。そのときの人というは、とても弱くて儚い生き物だと感じる。軍隊が特に意味もなくミッキーマウスマーチを歌って行進すれば、皆わけもわからずそれに従う。そしてそれは大半の何も考えない人たちが行進しつづけて、そのわけのわからない行進は、現代まで脈々と続くんだろう。
タンシロ

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