けん

フルメタル・ジャケットのけんのレビュー・感想・評価

フルメタル・ジャケット(1987年製作の映画)
4.0
「ねずみに食わせろ」

正常と異常の境目について
強者が弱者を蹂躙する様を通して、異常が正常に変化し、正常が異常へと変化する様を見せつけられる。

強者としての上官と、弱者としての訓練兵
強者のアメリカと弱者のベトナム

一方の暴力によって、一方の正義が強制されていくさまに対して、果たしてなにが正常と言えるのかが問われているように思う。

ラストの女性兵士の処遇について
「ネズミに食わせろ」という兵士に対して
「女子供まで撃つのか」と言っていたジョーカーが拳銃でとどめをさしたことが、アメリカ的な正義と人間的な正義のせめぎ合いを表している。
直後のミッキーマウスマーチでも分かるように、ネズミとはアメリカの象徴としてのミッキーマウスの比喩である。

デブのレナードは果たして狂っていたのか。彼を非人間扱いし、しごきたおしていじめて、最後には精神病様にまで陥れた上官や軍は正常なのか。アメリカが求める兵士としての理想と、それにたどり着くための訓練と、その環境に反応して狂気を見せるレナードの精神状態と、どちらが異常でどちらが正常と言えるだろうか。
軍や国の象徴としての上官を倒すためには、その国が戦いのために作り出した『フルメタルジャケット』を打ち込む必要があった。と同時に、「shoot me」と懇願する女兵を撃つ時の弾は、「フルメタルジャケット」ではなく拳銃の弾でなければいけなかった。
戦争における正常とアメリカの正義というものを、彼女に撃ち込まないことがジョーカーなりの人間としての最後の理性だった様に思う。

彼が女兵を撃つ直前に、レナードが上官を撃つときと同じ表情を見せたことも、撃った後にレナードの声が聞こえたのも自然な流れだった。そして、直後にミッキーマウスマーチを歌うことで、1人の人間の中でも正常と異常との境が曖昧であり同時に同居している、という矛盾を表すことこそがこの映画のテーマであった様に思う。
単に戦争映画として見ることもできるが、極限状態での人間を描くことで、自分が所属する社会においての正常と異常の境の不確実性と、その曖昧さ自体を浮き彫りにする作品であるように感じた。
けん

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