Dio

フルメタル・ジャケットのDioのネタバレレビュー・内容・結末

フルメタル・ジャケット(1987年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

この映画を見て気づいた、いや改めて認識したこと。それは僕が「心理描写」が何よりも映画において重要視してるということ。
なぜこのように前後半で雰囲気の違う作品になったのか考えていたらその嗜好性に行き着いた。

前半は海兵隊で行われるヘビーなトレーニング、後半はベトナム戦争を舞台に進むこの映画。

前半に中核をなすのは鬼教官とデブちゃんの狂気、後半は戦争の悲惨さ、そしてそれらを繋ぐのがジョーカー。故にこの映画はジョーカーの心理描写が重用になる。

ジョーカー。
鬼教官にも一目置かれるタフな奴。ジョーカーのニックネームたる由縁は入隊理由は人を殺すため。

しかし彼は最終的に前線部隊ではなく報道部を志す、なぜか?
彼は気づいたのだ、仲間と共謀してデブちゃんに鞭打った時に。
デブちゃんは不器用で、トロくて仲間に迷惑ばかりかけるような唐変木だ。その姿は何を象徴するだろうか?
恐らくは圧倒的な弱者であろう。
その弱者に非道なことをする覚悟が自分にはない、そして戦うべき相手は往々にして弱者である、ジョーカーはそう悟ったのだろう。
それはデブちゃんに対して親切丁寧に教え、そしてデブちゃんを裏切り制裁を与えたときの彼の葛藤から感じることが出来る。

そして後半、悲惨で狂気に満ちたベトナム戦争を報道しようという彼の心意気は、弱者の立場になるべく立とうとする彼の姿勢から読み取れる。
彼は戦う相手が人間であるという認識を持っているのだ。
人間は人間である、そんな当たり前のことすら認識出来なくなるのが戦争であり、その中でそういった感覚を忘れずにいることが出来ることが何よりもジョーカーらしい。

ただし戦争はそんなことお構いなしだ。
人は死に、そして殺され、殺す。
そこには道理などなく、単純な事実として存在する。
ジョーカーは戦禍に巻き込まれ、それを実感する。

その時ジョーカーは何を思っただろうか。
これは完全に僕の想像だが、恐らくジョーカーは鬼教官の理不尽さの意味を知ったのではないだろうか。
あの無意味に思えるほどの罵倒こそが、戦争の本質である、そう思ったのではないだろうか。
そして同時にデブちゃんの狂気に思いを馳せたのではないだろうか。人は抑圧されることにより必ず反発するのだ。

キューブリックがこの映画でメッセージを伝えたいとするならば、恐らくそういうことなのじゃないだろうか。

7th May 2016
Dio

Dio