Ark

真実の行方のArkのネタバレレビュー・内容・結末

真実の行方(1996年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

「いなかったのはアーロンのほうだ」
この嘘を見破れるか?

大司教殺害の罪で捕まったアーロンという気弱そうな青年。しかし時々起こる発作で「時間が消えた」ため何も覚えていないと言う。主人公は彼を信じ、弁護をする。彼の中にロイという別人格が存在することを知り、裁判での主張を「第三者による犯行」から「心神喪失」に切り替えようとするが当然主張の変更は認められない。しかし裁判中に検事を利用して別人格を呼び出すことで、アーロンが多重人格者であり、犯行当時彼が正気じゃなかったことを証明し勝利する。しかし多重人格者を演じていたという「真実」を知る。存在しなかったのはロイではなくアーロンだったのだ。


視聴前からアーロンが多重人格者だということは知りたくなかったがうっかりネタバレを見てしまい知っていた。
・多重人格者なのにそれを裁判で認められず死刑になる
・多重人格者だと認められ無罪になる
という2つの可能性を悪い頭で考えていた。しかしあまりに事が上手く運びすぎていると気付く。終盤、1つの疑問が浮かぶ。「全てアーロンの芝居だったら?」この予想が的中し、やっぱりか〜と。
どんでん返しだけど、遅かれ早かれ普通に予想がつくオチな気が。
ただ思うのが、あそこまで狡猾で頭のいい彼が勝訴した途端突然ボロを出しますかね?そこが少し不自然な気がしなくもない。ネタばらししてしまえば次にまた殺ってしまったときもう同じ手を使えなくなるのでは?そこは脚色ですかね。

純粋にアーロンを信じて懸命に弁護する主人公と、純粋そうに見えるが狡猾な本性を持ち多重人格者を演じ切ったアーロン。何が「真実」かは目で見るだけじゃ分からないと。心で見て見極めろと。そういうことですかね。

賞賛すべきはストーリーだけじゃない。そう、エドワード・ノートン!彼の初期作なのにあの仕上がりはすごい。

小さくなってオドオドした様子の気弱そうなアーロンと、ガンガンに攻撃的で目つきも口も悪いロイ。雰囲気も態度も口調も何もかもが違う。この違いを演技によってしっかり出せるという事実が彼の演技力を証明している。アーロンのときの演技も、細かい感情が表情にしっかり表されていた。繊細な演技。
この作品で彼が、というか彼自身が現在も俳優として演技を賞賛されている理由がよく分かる。エドワード・ノートンは扱いにくい俳優らしいが、それほど演技にこだわれるのはすごいと思う。

オチは分かったけどそれでも十分楽しめた。アーロンを見てるだけで楽しめる。あの「何も分かりません」って感じの表情がとてつもなく上手(笑)あれは騙されるね。

主人公がアーロンの本性や計画に気づいて問い詰めていたらどうなったか気になる。

満足した。でも途中でわかっちゃったから若干満足度(=星)マイナスということで…。おもしろかった。
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