Ricola

真実の行方のRicolaのネタバレレビュー・内容・結末

真実の行方(1996年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

大司教暗殺事件ということだが、宗教色はたいして強くはなく、単純に「人」の恐ろしさが描かれる法廷サスペンス作品だった。

被告人アーロン(エドワード・ノートン)の二面性(というか彼の場合は病気だが)に限らず、人間は誰しも二面性を持ちうるということが作品に散りばめられながら示唆されているのだ。


主人公の弁護士マーティン(リチャード・ギア)は目立ちたがり屋だが、実は正義感に燃える情熱的な側面も持つ。
大司教も聖職者という立場でも子どもたちに性虐待をおこなうなどの裏の顔を持っている。さらには厳格な裁判長も控室にマーティンらを呼び出す際にお酒を勢いよく飲む姿を見せる。
そしてアーロンは狡猾にもその二面性を正当化するように使い分け、人々を騙す。
二面性はひとりひとりの性格や行動だけを示しているわけではない。
例えば、マーティンが元恋人で検察官のジャネットがタバコを吸おうとする際ここは禁煙だと注意するときには彼らの関係は弁護士と検察官ではなく、「男女」の関係に切り替わる。つまり、ビジネスの場での会話から、元恋人の関係を彷彿とさせるような会話や雰囲気へと傾くきっかけとなるセリフおよび言動なのだ。

アーロンという人物への不信感を、作品の途中から拭い切れない点がある。それは、気を失うことを時間を失うと彼がしきりに言う点である。ロイという人物が表に出てくるときに、たしかにアーロンは時間を失っていたのだ。

正直ストーリー展開はある程度読めるため、どんでん返しなラストに驚かされるわけではなかった。ただ、犯人の持つ二面性という特徴を、他の登場人物や人間関係にも組み込んでいる点や明快な筋書き、そしてやはりエドワード・ノートンの怪演ぶりが素晴らしいという結論に落ち着いてしまう。
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