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袋小路のnoteのネタバレレビュー・内容・結末

袋小路(1965年製作の映画)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

銀行強盗に失敗したギャング二人が負傷を追いながら逃げてきたのは、満潮によって孤島に立つ古城。そこには全財産をはたいて城を買った作家ジョージと若妻テレサが暮らしていた…。

ロマン・ポランスキー監督による1966年公開のコメディタッチの人間ドラマの佳作。

ある夫婦の元に銃を持った侵入者が現れ、生活を脅かす。
暴力に抵抗して生活を取り戻すサスペンスかと思いきや、一向に抵抗をしない。
ギャングの仲間の死に夫婦は同情し、ギャングは次第に夫婦に気を緩めていく。
突然の来客にギャングは夫婦の使用人のフリをしてやり過ごす。
ラストは銃を奪った夫がギャングを撃ち殺し、自身が犯罪者となってしまう。
命令する者とされる者の立場がコロコロと逆転するのが可笑しい。

題名の「袋小路」とは「行き詰まり」。
つまり閉鎖的な空間である。
本作の物語は、誘拐事件や監禁事件などで、被害者が犯人との間に心理的なつながりを築く状況、いわゆる「ストックホルム症候群」だ。
「ストックホルム症候群」という言葉が生まれる以前に、ポランスキー監督がそういった状況を思いついたのは凄い。
さらに誰にとってもハッピーエンドを迎えない(ある意味、現実に即した)ひねくれた結末にしたところにポランスキー監督の鬼才ぶりを感じる作品だ。

夫婦の関係は、最初から様子がおかしい。
弱気で変わり者の夫ジョージと、新婚でありながら隣の島に住む若者と浮気をしているテレサ。
テレサが結婚したのは、ジョージの作家としての才能か?それとも財産か?
端から絆などないため、リチャードの来訪で夫婦の信頼関係などあっという間に吹き飛ぶのである。

ジョージはリチャードの言うがままに従う。
序盤でテレサのなすがままに化粧されるあたり、懐が広いというより男としてのプライドが無い。
若く美しい妻をもらったはいいが、必死で繋ぎ止めようと城を買って破産寸前。
妻に頭が上がらない憐れな中年である。

若い妻テレサは旦那のジョージに隠れて若い男と浮気しているあたり、性的にジョージに不満なのだろう。
ギャングのリチャードに従ってばかりの夫に剛を煮やし、リチャードにイタズラを仕掛けてお仕置きされると、「アイツに襲われた(犯された)」と嘘をつき、ついにはギャングの拳銃を奪って、夫にリチャードを殺させた挙句、夫を捨てて城の邸宅を出て行く。
実はなかなかぶっ飛んだビッチだ。

対して、ギャングのリチャードは犯罪者でありながら、人間味を感じる。
死んだ相棒の墓穴を掘り、遺品のメガネを大切にポケットにしまう。
全裸のテレサに遭遇してもイヤらしい視線を送ることもなければ、銃で脅して欲望を処理しようともしない。
まるで純真な少年のようだ。
中盤、自分の髭をジョージに剃らせるシーンがあるが、監禁している相手にカミソリを持たせ、自分の顔に刃を向けさせるなど、お人好しがすぎる。

悠々自適な生活を送る夫婦を、本作は「俗物」だと悪意を込めて描いている。
死に際のリチャードにマシンガンを向けられ、お互いの身体を盾にし合う夫婦の姿は、二人の本音が見える非常にわかりやすい演出だ。

全体的に緊張感は皆無で、不条理な舞台劇を見るような感覚に陥る。
しかしながら、これといった教訓も真理も感じられないのが難点。

わがまま気ままに生きる夫婦が、縁もゆかりも無い他人と絡むことで破綻していく。
その慌てふためく姿がコメディ。
現代の格差社会でも通用する話だ。
ポランスキー監督は、よほど金持ちが嫌いだったようだ。

夫婦のように金があっても、愛がなくては幸せではない。
リチャードのように純粋で人が良くても、暴力(権力)に頼っていては、周囲に反発されて、やはり幸せにはなれない。
まともな人間が登場しないこの作品に、真理があるとするならば、強いて言えば「人間は欠陥だらけの生き物で信じるに値しない」ということか?
それとも逆説的な「愛こそ全て」か?
とても皮肉に満ち溢れた作品である。
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