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袋小路のTnTのネタバレレビュー・内容・結末

袋小路(1965年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

「独身中年男性、狂ってきたので今のうちに書き残しておく」の元祖?
 twitterでちょっと前にトレンド入ってた上記タイトルの記事、読んでないけどつまり今作みたいなことかなと。ファム・ファタールに振り回されるが、そもそも男として終わりかかっていたかも的、中年の危機の映画。初長編作「水の中のナイフ」の変奏とも言える。てか、ここ最近なんかドナルド・プレザンスが出てる映画をよく観るなぁ…。

 しかし、というのが本筋だとわかるにはかなり時間を要した作品。なんてったって、冒頭は負傷した強盗二人組から始まるのだから。このただならぬ雰囲気で興味をグッと惹かれる。その後も、まず女と男が寝ている場面が挟まり、後々その男は浮気相手で女が家庭持ちだと判明する。そして変な飄々とした男がどうやら本当の夫だとわかる(不釣り合い!)。全てが帰納的に語られる。その中で、最終的に袋小路のタイトルの意味も判明する時、うわぁ…唸らせられる。うまいなぁポランスキー。

 倦怠夫婦に必要なものとは何か。「水の中のナイフ」同様、それは事件に他ならない。今作ではすでに若い浮気相手という危機もあるが、当の夫は全く気がついていない。この浮気現場を一番に目撃するのが強盗であるというのがおもろい。で、気を使って最後まで本人に伝えない義理堅さ笑(遠回しに若者を追っぱらおうとしてるし)。こうして強盗という権威が家庭に踏み込み、そこで男はなにができるかという事件に発展する(どの家庭の男もほぼ太刀打ちできないと思うけど…)。妻があれよあれよと強盗になびく様も、妻自体にかなり普通じゃなさを感じるが、いざ夫が銃を発射し強盗を殺せば、ただドン引きなだけなのだった笑。優しさと狂気に揺れる感じ生々しいし、まるで男はこれを原罪のように抱えてるかのようだなと思ってしまった。たぶん自己の不甲斐なさを権力というものでカバーできると勘違いしてることから起きる問題でもあるが(だから男性社会なんてロクなものじゃないんだよ!)。同年、ゴダールが同じくファム・ファタールに発狂する男の映画こと「気狂いピエロ」を撮ってるのが興味深い。ラストの燃え上がる車と爆死のイメージまで似ている。ただ、「水の中のナイフ」と同じで、カタルシス後を描くのがポランスキーだ。それは大林宣彦的思考とも似ていて、つまりカタルシス=戦争論である。彼はその後、つまり"戦後"までをしっかり描きたいのだ、残された残骸を。不意に残骸から思い出す、「戦場のピアニスト」、あの荒れ果てた街まで描いて初めて戦争を語れるのだ。そして"その後"の冷徹さに見る「チャイナタウン」の絶望。付いて回る「その後」の後味、今作もまたタイトル回収の素晴らしさと、画としての絶望がやばい。

 今作のファム・ファタール、フランソワーズ・ドルレアックの背中の撮り方のヤバさ。冒頭の逢瀬でがっつり裸で抱き合う姿のすらっとした背中が、まず彼女の第一印象として目に焼きつく。その後も、背中が強調されるように撮られる中、さっきの帰納法じゃないが「女の背中」でなく「背中の女」という印象が付いて回る。明け透けにさらされた背中に惑わされつつも、それは彼女の逃げる背中とも同義で、絶対的に辿り着かないものに惹かれるという…。実際最後、彼女は背面こそ強調されるわけではなかったが、そそくさと逃げていくのだ。
「愛は影と同じで、逃げれば、追うし、追えば、逃げる」ーファルスタッフ

 音楽はノイジー、子供はガキすぎてうざい、友人は厚かましい。なんか絶妙にありそうな状況だけど、「ローズマリーの赤ちゃん」的な、主観的なパラノイアな目線の萌芽かもと思った。世界は基本こちらに攻撃してきているという妄執。今作は笑いに舵が振り切ってたからブラックでオモロかった。
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