うめ

(500)日のサマーのうめのレビュー・感想・評価

(500)日のサマー(2009年製作の映画)
3.7
 ああ、観る気なかったのに観てしまった(笑)当時、この作品を観てからすっかりジョゼフ・ゴードン=レヴィットを好きになったのを覚えている。今も好きだし、彼の作品を追い続けるきっかけになった作品。懐かしいなぁ〜。

 人の気持ちは理解はできるけれど、わかるものではない。見てきたものも、今見てるものも違う。だからこそ、人って近づいたり遠ざかったりを繰り返すものなのだが、恋愛はそれが顕著に表れる。今作は主人公トムと彼が恋したサマーとの出会いと別れを、感情のすれ違いという視点から描いた作品。

 トムは冴えなくて頼りない青年。一方、サマーは明るくて可愛らしい女性。同じ職場で働いていても、つながりなんかないと思っていたトムだったが、とある出来事でサマーとの出会いを「運命」だと思うようになる。友達になって食事をしたり映画を観たり、徐々に距離は縮まる…でも、サマーは両親の離婚というトラウマによって誰かとつき合う、誰かの所有物になることを拒んでいた。それを了承済みでサマーといるトム。少しずつ二人の気持ちがずれていく…。

 この二人の感情の変化が対照的に表現されている。例えるなら、トムは上から階段を下りていて、サマーは反対に上がっている感じ。すれ違う瞬間はあるけれど、向かう先が異なるから決して共にはいられない。トムとサマー、一緒にいるときは楽しい。
キスもするし、セックスだってする。トムは、そうして少しずつサマーと関係を築いていけると思ったのだろう。だが、サマーはトムといる楽しい一瞬一瞬を味わっているだけだったのだ。このすれ違いが上手く表現されていた。

 特に演出が特徴的。ただ出会いと別れを時間に沿って描くのではなく、サマーと別れてしまったトムの視点からサマーとの思い出を見せることによって、トムの感情の落差を感じ取ることができる。また画面を二分割することによって、トムとサマーの視点やトムの「期待」と「現実」を表現しているのは面白い手法だと思った。他にもサマーとの関係が絶好調のトムが急に踊り出したり、アニメの青い鳥や映画のパロディが登場したりと目立った、楽しい演出が多かった。(当時も思ったけれど、やはりCMやPVを制作してきた監督が映画を作るとこういう目を引く演出が多い気がする。CMやPVは短い時間でどれだけ人を惹きつけるかが鍵となるから、自然とそういう演出になってしまうのでしょう。ガイ・リッチーとか中島哲也とかですかね、思い浮かぶのは。)

 個人的にはオープニングで、トムとサマーの生い立ちを8ミリカメラの映像で表現しているのが一番良かった。トムとサマーがどんな生い立ちで、何に感化されて自分や恋愛観を形成したのかがちらりとわかるオープニングだった。こうした前提があると、物語に入り込みやすい。(出身地の設定も二人のイメージを作り上げていると思うのだが、その土地の特徴がわからないのでピン来ない…こういうのに出くわすと本当に歯がゆい!)

 例えば「運命」なるものがあるとして。だとしたら、私がする事、これから先、私の身に起こる事は全て決まっているはずで。だったら、私は行動を起こさずにただじっとしていても「運命の人」に出会えるのか?と言ったらそうではないし、かといって自分の考えや力が及ばないレベルの出会いや出来事の重なり合いがあるのも事実で。運命か運命じゃないかって結局、堂々巡りな気がしてしまう。トムも同じ。サマーとの(500)日が終わっても、きっと別の(500)日がこれから何回も巡ってくる。その度に季節のように移りゆく心に喜んだり悲しんだりしながら。でもその心のループが愛おしいものに変わった時に、そばにいる人がきっと人生の伴侶となるんでしょうね。

 キャストはジョゼフ・ゴードン=レヴィットとズーイー・デシャネルがどちらも魅力的っていうのはもちろんなのだが、再鑑賞の今回でも驚いたクロエ・グレース・モレッツ!当時12歳でまだあどけないのだけれど、大人びた態度でトムに恋愛アドバイスをする女の子を演じている。今ではすっかり綺麗になっているから年月の流れを感じてしまいました(笑)あとは、S.H.I.E.L.D.のエージェント・コールソン役でお馴染みのクラーク・グレッグがトムの務める会社の社長役で出演しているのにも、にやりとした。

 恋愛に限らず、人は一生の中で多くの出会いをするもの。ではあなたのその出会い、「運命」だと思いますか?今作を観て笑いながらも、トムと一緒に自分なりの答えを探してみてはいかがだろうか。
うめ

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