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その木戸を通ってのmireiのレビュー・感想・評価

その木戸を通って(1993年製作の映画)
3.5
市川崑監督作品 「その木戸を通って」1993
(市川崑監督作品全作品観賞目標 現在21/81)

静かな空間に江戸時代の屋敷が映る。そこに盆栽を丁寧に整える男が現れる、中井貴一。「行きやがれ行きやがれ、嫁に行きやがれ」ぶつぶつと呟く男、そこに竹林が風に揺れる映像。まるでNHKのCanonが提供している世界遺産映像を見せられているかのような美しい緑、朝露がキラキラと輝く、自然の中に迷い込んだかのような暗く肌寒い世界がそこにある。1993年の最新技術を駆使しているかのように思える。ここのワンシーンを観るだけで市川崑の作品だと感じることが出来、彼が我々観賞者に魅せたい物が手に取る様に分かる。彼は人が移動するだけの場面やただ日常的なメッセージ性の無い物を撮るものを嫌うと私は分析している、その為物語の鍵となる物は全て主人公にハッキリと言わせる、まるで舞台役者の様に分かりやすく我々に説明をしてくれる。そして今回は、暗転したスクリーンにまるでコンテの説明書きのような一言を映し出していた。彼は人間をスクリーンの中に真っ直ぐに入れようとはしない、特に時代物を撮る時にその事がわかる。彼は石垣が好きだと言う事、鴨居や長押から垣間見得る人の影や会話の描写が好きだと言う事が非常にわかる作品であった。神秘的で謎な女性を演じたのは浅野ゆう子、かなり若く見えた。彼女が映し出される際に白いモヤのようなエフェクトがかかるのはまるで彼女はこの世のものでは無い何かである事を伝えているかのように思えた、記憶をなくし居候していた彼女は武士に愛され妻になり母になった、そして満月の夜に木戸を通って姿を消した。個人的にかぐや姫を連想させる話であった。最終的に話は序盤の、彼女と武士の娘が嫁に行く日に切り替わり、とうとう武士は妻に再会を果たすことが出来なかった。そっくりな女性を見つけたがスクリーンはまたもや暗転し「彼女ではない」という結論と共にこの作品は幕を閉じる。謎な映画ではあったが、市川崑監督の性癖が詰まった作品であったのは確かだ。
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