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ふりむいた花嫁のニューランドのレビュー・感想・評価

ふりむいた花嫁(1961年製作の映画)
3.3
☑️『ふりむいた花嫁』(3.3p)及び『三人娘乾杯!』(3.4p)▶️▶️
行きつけ会場改装未だ続いてて、 普段だったら行かないラピュタに足伸ばすことが増える。朝⋅夜は仕事に差し支えるので、昼間の番匠特集を週1本ペースで。
『ふりむいた~』。シリーズ⋅トレードマークの橋を潜る川船の主観めでやはり始まるが、これは見事な快作。アップ多用と切返し、的確なフォローや寄る⋅横への移動、取り分け無駄なくスッキリと力強く破綻がない。しかし、これを真に高めているは、序盤と括り辺りの、ストレートに効果上がらず無駄とも言えるが会話⋅展開が、素晴らしい余録を示し続けるあじわいで、序盤は普通削る言い直し等の台詞、横へやウロウロのフォロー移動や⋅色々の人の動きがぶつかるカッティングが、ちとみられない味と格になってて、ラスト辺は全てめでたしめでたしを越えた新旧の価値観の受け入れが作品を高める。亡夫を活かす道を貫く女の矜持であり、老舗の血筋⋅伝統を超えた⋅適材適所に人材を活かす⋅息子の嘗ての進言の株式会社化の選択⋅受け入れである。
中心部は、老舗ドジョウ料理屋の娘の結婚相手の好き同士か⋅店の存続最適相手かの葛藤(も昔気質は無力)で、父のバー通いの近代的会社社長がライバルの見栄の純情と誠実愛、近代的テレビ世界と同士と独歩の道の息子、のあり方が、先に述べた一枚上の心境⋅姿勢への達しを加えてく。
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ある海外来賓の講演中止を当日知り、直ぐ渋谷の観たい番組へ舵を取る。10分以上遅れると気付き、少し前手にいれた個人的貴重古本のカバーと中身が違うのの交換を急ぐ用事もあり、阿佐ヶ谷へ転換。予定外の『三人~』も観る。今どきの「コクる」の通過儀礼化が、本当に意味と順序があった時代の感触、控え目と躍動、これがよかった、上記作より更に快作。3人娘と言いながら、メインは鰐淵と岩下の恋の鞘当て、いや、自分が愛する相手の本当に愛し始めた別の恋を成就させてやる為に⋅距離持ってるその2人の気持ちを強く明確へ向かわせ、自分は、その2人の障害となってる婚約に入り込み壊してく「演技」の実践、のいじらしいが⋅半ば自壊的な選択⋅実践。愛する相手は決定的に遠ざかり、木乃伊取りが木乃伊となって燃え始めた新しい相手は演技を見抜いてたと分かり、遂に自暴自棄に。しかし、今度は、彼女に助けられた側が、助け返す。ペンダントの中身や⋅偶然や待ち構えの飲食の場、等の引き締め⋅集約形はあり、コメディ⋅リリーフやメインの男女五人の、身体や台詞のキレあれど、そこに沿ったカッティング以外は、カメラワークやアングル取り⋅対応切返しは、平明⋅せっつかずで、おっとり⋅透明め。自然に染み込みものが大事になってく。
浅間出の医学部女子学生は、担当医師に岡惚れリード。しかし、医師は父親を看た縁で、その娘と惹かれ合い出す。が、娘は、父娘共に厄介になってる、会社の社長が父の専務と結婚前提条件の交際中。互いに「立候補前の棄権」になりそうを、女子大生が自分は退いて⋅身を砕いてく。更に専務を自分に惹き付けて、婚約を壊してやろうと。が、このカップルも本物へ。心のボロボロ⋅晴れやか⋅伸びやかの一体化へ。それにしても、脇の俳優陣が実に充実⋅豪華で且つ効率⋅効果の駒に徹してる。
鰐淵といえば流石に『ノンちゃん~』は生まれる前、タッド岩松絡みで子供の好奇心からスキャンダラスにしか見ていなかったが、松竹のメイン女優の頃は、ミドルティーンからハイティーン、4歳年上の倍賞や岩下らのトップに併せ、また日本人離れ⋅恵まれた肢体からかなり年上の役をやってるが、中身的には純情設定になってて、その無理⋅ギャップも妙に刺激的。
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