ふき

ノスフェラトゥのふきのレビュー・感想・評価

ノスフェラトゥ(1978年製作の映画)
2.5
F・W・ムルナウ監督の一九二二年の『吸血鬼ノスフェラトゥ』をリメイクしたホラー作品。

ブラム・ストーカー氏の小説『吸血鬼ドラキュラ』が源流ではあるが、本作の原作はリメイク元の『吸血鬼ノスフェラトゥ』と言っていい。お話運びは九割方完コピで、映像的にも大まかにはほぼ同じ、中には忠実に再現したショットもある。特にクラウス・キンスキー氏演じるドラキュラ伯爵は、オリジナルでマックス・シュレック氏が演じたオルロック卿に近い存在感を出せている。

本作がオリジナルと大きく違うのは、この時代の作品には珍しく「永遠の生に苦しむドラキュラ」を描いていることだ。
ヴァンパイアの不死性で悲哀を描くのは昔から(それこそ一九三六年の『女ドラキュラ』で既に)やっていたことだが、ドラキュラ伯爵その人でやるのは実は珍しい。しかも本作がモデルにしている『吸血鬼ノスフェラトゥ』のオルロック卿は更に極端で、完全に人間離れした外見と動作で、しかも人格面がほとんど描かれず、モンスターとしての側面が強かった。そこに一気に人間としての人格とモンスターとしての悲哀を突っ込んだものだから、「ドラキュラと言えばベラ・ルゴシ氏やクリストファー・リー氏」と思っている方はかなり面を食らうだろう。
本作独自の魅力は概ねそこに集約される。ドラキュラの行動はオルロック卿にそれを引き継いで滑稽にも見えるテイストを含んでいるだけに、自分が行く先々が死に覆われ、欲していたものを失っていく様が切なく映る。

ただし本作は、お話も絵面も『吸血鬼ノスフェラトゥ』に忠実なだけに、上手くいっていないところが目立つ作品でもある。
まずドラキュラの城に行くまでの展開が遅い。本編とは無関係のミイラ映像、ジョナサンとルーシーの海岸の散歩、途中の村で「ドラキュラ城に行くな」という小話などがオリジナルから追加され、「早く城に行けよ!」と焦らしてくる。さらにジョナサンをわざわざ徒歩で移動させて美しい自然の映像をこれでもかと長いカットで見せてきて、それがどこかの観光地を手持ちカメラで撮ったようななんでもない映像なものだから、最初の三〇分は正直辛かった。
そこから一時間はかなりオリジナルに忠実に作られているのだが、全体的に舞台や映像のスケールが小さいのが気になる。ジョナサンの妻の部屋、ドラキュラの住む城、ドラキュラを乗せた船、その船が入ってくる運河など、どれも小さく狭い。また元の映像を進歩した技術で再現したことで、白黒サイレント特有の「なにもないシーンさえ不穏」といった雰囲気は大幅に後退してしまった。スピーディでムダのない語り口も再現できておらず、全体としては物足りなさの方が強い。
オリジナルから変わった結末は、本作で語ってきたお話そのものをムダにしただけだ。その一捻りに驚きはしたが、視聴後感は悪すぎる。

かように全体としてはオススメできるポイントが少ない作品だ。「本作を見るとオリジナルの『吸血鬼ノスフェラトゥ』を見る目が変わる」という作用はあるが、それならば二〇〇一年の『シャドウ・オブ・ヴァンパイア』でも同じ効果があるし、もっと面白い。
ただし、「鏡に映ったドアがひとりでに開き、閉まると鏡の中のドアに影だけが落ちている」という吸血鬼演出は、本作でしか見たことがない。この表現だけで、私は本作に一定の価値を見出しているが、まあそれは初級レベルのドラキュラマニアの感想なので、普通の方は忘れてもよいです。

ところで本作は、同年に公開されたジョン・バダム監督の『ドラキュラ』と同じで、ミーナとルーシーの役どころが原作から逆転している。『ドラキュラ』は理由が想像できるが、本作は本当に分からない。何故だろう?
ふき

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