かみしの

奇跡の海のかみしののネタバレレビュー・内容・結末

奇跡の海(1996年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

ベスは何によってこの結末を迎えたのか。リチャードソン医師は、「神経症」や「分裂症」ではなく「善意」が彼女をそうさせた、と語る。彼女は利他的に振る舞う。プロテスタントの重視する信仰を極限まで突き詰めた存在であるともいえる。神を仮構し、あまつさえ対話してみせるベス。ヤンはベスにとって、ほとんど現象化した神であっただろう。だから、彼の「他の男と寝て、その話を聞かせよ」という言葉は、現実的な指針となってしまう。純粋な信仰は、極めて非合理的に見える。ベスに深い共感を見せ、寄り添うドドは医療、すなわち科学の人間だ。だから究極的なところではベスと交わることはない。
ベスはどうしてこのようになってしまったのか。何が、彼女の善意を意固地なものにしたのか。ひとつはスコットランド流の「長老派」プロテスタントの構造であろう。ここでは長老達の一存であらゆるものが決定する。女性は発言を禁止され、予め外部への「声」が奪われている。だからベスの「声」は内部へ向かい続けるしかなかった。やがてその「声」は神の声へと変質していく。あるいは受肉した神としてやってきたヤンが、油田での作業のために遠ざかったこと。工業化、そして加速していく資本主義と労働への従属。純粋な信仰を疎外させるのは、男性中心主義で権威的な政治と、過酷な労働とその対価、すなわち経済である。ベスはこの二つによって他者と対話する可能性を奪われた。ラース・フォン・トリアーの強烈な皮肉と、ベスの受難が海上の鐘によって救済されていく。
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