デニロ

息子のデニロのレビュー・感想・評価

息子(1991年製作の映画)
3.5
和久井映見を気にしたのはいつ頃だったろうか。電車の吊広告(セデス錠)だったか、あるいは『就職戦線異状なし』のクールな人事課員だったか。調べてみるとこのふたつは1991年だった。サントリーのビール/モルツのCMが1992年。彼女がCMに出ている間サントリーのモルツばかり飲んでいた。うまいんだな、これがっ。彼女のCMが終了すると味が変わったので飲むのを止めてしまった。ビールの味は時々変えるものなんだということにその頃気付いた。テレビドラマ「夏子の酒」は、1994年だった。東京の広告会社に勤務していたけれど、実家の造り酒屋の跡継ぎである兄/中井貴一が病で早世し、兄の夢/幻の酒米「龍錦」を使って日本一の酒を造る!を自分が成し遂げたいと決意して新潟に戻って奮闘するという話に、毎週泣かされたものです。広告会社のOLスタイルから田んぼに入る初回の大転回もまた潔かった。

封切時、本作の和久井映見を目当てに観に行ったんだと思う。彼女がろうあ者を演じていたという以外のストーリーは全く忘却の彼方。「その一、母の一周忌」、「その二、息子の恋」、「その三、父の上京」と章立てになっていることも。

1991年製作公開。原作椎名誠。脚色朝間義隆 、山田洋次。監督山田洋次。本作と『就職戦線異状なし』は同年公開だけど和久井映見の役柄は全く違う。

和久井映見の登場は「その二、息子の恋」からということになる。「その一、母の一周忌」で相手役の永瀬正敏のダメっぷりを散々描いていてやるせなくなる。東京へ出てきたのはいいが、どの職場も長続きせずに職を転々とする。大学を出て大企業に勤める兄から紹介された会社も兄に黙って辞めてしまう。父親も、いつまで心配かけるんだと、言い募るばかり。岩手から東京に出稼ぎに出て生計を支えていた三國連太郎からすると、永瀬正敏の気に入る仕事が見つからないから云々という言い草がまず気に入らない。大事なのは、仕事は長く続けて手に職を付けるものだと。

この辺りの描写は山田洋次印が満開なのですが古臭くて嫌になる。永瀬正敏が勤め始めた職場の運送会社の運転手/田中邦衛の世界を呪詛するような台詞も90年代の話じゃないような気がする。それに生活圏内で若き岩手県の出身者が訛り丸出しで喋るなんてなかなかにあり得ないと思うのだが。東京でお国言葉を罷り通すのは関西の人間だけじゃないかと思う。

で、永瀬正敏が納品を任されると取引先の倉庫に事務員/和久井映見がいるのです。暗い倉庫の中で黙々と伝票整理している和久井映見の姿にライトを薄く当てたり逸らせたりしながら彼女のひたむきな美しさを切り取っています。このカットによってそれまでの山田洋次のステレオタイプな社会構造描写はガラガラと崩れ去ります。

「その三、父の上京」で唐突に三國連太郎が戦友会の集まりで熱海に行く途中で東京の息子を尋ねる段になって『東京物語』を思い起こすのはわたしだけじゃあるまい。父と子、兄と弟、都会と地方のあり様を捉えようとしているようだ。独り身の父親を岩手の寒村にひとり置いていいものかと煩悶している長男。そんなこともあるだろうと妻/原田美枝子にも相談していつでも父親を呼び寄せることのできるように千葉のマンションを30年のローンを組んで購入している。どうだ親父、一緒に暮らさないか、そう言われてもその気にはなれません。これまで長え間生きてきたんだから、死んだからって三日や四日見つからなくたって、なんも構わねえ、そう原田美枝子に伝えるだけだ。豊満なカラダを持つ嫁と狭いマンションにいて何にもできないなんて独り身の男にはつらいでしょうよ。老人の性。かなりエロいシーンなのだけど、そんな風に思うのもわたしだけではありますまい。それを強調するために家族そろっての海水浴のビデオを映したのでしょう?『変態家族 兄貴の嫁さん』ならぬ長男の嫁さん。

和久井映見の退社後をストーカーまがいにつけ回して、口下手で訛りもあるから手紙で気持ちを伝えると手紙を渡す永瀬正敏。あんた彼女に手紙渡したろ、和久井映見はろうあ者なのよ、と彼女の職場の女性に知らされて、だからよろしくねと言われても、田中邦衛に、いつ気がつくかと思ってた、止めとけ止めとけ、と言われてもそれがどうした、自分がなにほどの人間だって言うんだ、いいではないかっ、そう永瀬正敏は彼女への思いを言葉にする。その後どんな風にしてふたり結びついたのか全然分からないけれど、額に汗して働いて一歩前に進む若者という山田洋次印が鮮明になってきます。

ラスト。雪深い実家に戻る三國連太郎。心配していた永瀬正敏が生活者として一歩踏み出し、しかも和久井映見という伴侶を得てキラキラと輝く未来に進もうとする姿を眩しく思う。和久井映見との通信のために秋葉原で買ったFAXを携え腰まで沈む雪を踏む。そして明かりのない家。ひとりとはこういうことなのか。東京で訪ねた長男、二男の家の明かりを思う。不意に何十年か前の出稼ぎからの帰省が甦る。ただいま、おかえり、ただいま、おかえり、ただいま、・・・そんな小さなやり取りがかけがえのないものだと、そう思う。孤独という毒。ここにも『東京物語』の笠智衆の影がみえるのです。

神保町シアター 戦前戦後――東京活写/映画の中で生き続ける、失われた東京の風景 にて
デニロ

デニロ