『冬の光』
(Nattvardsgästerna:聖体拝領の参列者)1963
信仰を失った牧師。しかし信仰を持つものは他にいた。
プロテスタントの牧師トマス(グンナール・ビョルンストランド)が日曜の礼拝を執り行い最後に聖体拝領、キリストの肉体であるパンとキリストの血であるワインを分け与える。
聖体拝領に参列しているのはトマスを愛している学校教師マルタ(イングリッド・チューリン)、村人ジョナス・パーソン(マックス・フォン・シドー)と妻カリン(グンネル・リンドプロム)
ジョナスは妻に促されトマスに心配事を相談する。中国が水爆を開発した事が彼の心配事だ。何を考えているか分からない中国人が水爆を使うのではないかと思うと不安に駆られて死にたくなるという。
水爆への恐怖に怯えるのは滑稽にも見えるけど黒澤明の『生きものの記録』の主人公と同じだ。核戦争なんか自分と関係ないと考えるのは正常性バイアス。
朝鮮戦争の時、劣勢だったマッカーサーは核兵器の使用を主張して北朝鮮を超えて中国への原爆投下を主張してトルーマン大統領から解任された。
核兵器を使いたがる軍人は実在するし政治家がそれを押し留めてきたから核戦争は起きていない。人々の努力で核戦争は起きていない。これが現実。
スペイン内乱従軍経験があり妻を病気で失った牧師トマスは信仰を失っている。兵士が無惨に殺され愛する妻を奪われた。神は存在するのか?だがその疑問は「人の都合の良いことを叶えてくれるために神を信ずるのか?」という問いになって自分に跳ね返ってくる。
ついにトマスは「神の存在を否定すれば世界が愚かで残酷で悪に満ちている事も合理的だと理解できる」とジョナスに告げる。
ジョナスはトマスの言葉を聞くと「帰る」と言い残して去る。
トマスはマルタの手紙を読む。マルタはトマスを愛している事、湿疹ができた時にトマスに拒絶されたことを切々と訴える。
そこにジョナスが自殺したという知らせが届く。
トマスは現場に駆けつける。猟銃で自分の頭を撃ち抜いたジョナス。
遺体が警察によって運び出されトマスは風邪薬を飲むためにマルタの家に立ち寄る。
トマスはマルタの愛が疎ましい。亡き妻の代わりにはならないとつれない。
トマスとマルタは隣村の教会で行われる礼拝のために来るまで向かうが時間になっても村の出席者はいない。マルタがいるだけ。
トマスはマルタ以外誰もいない教会で聖体拝領を執り行う。
空っぽな教会にオルガンの音が響く。観客ゼロでも開演する舞台や映画館のようだ。
そこには心の底からトマスを愛して祈るマルタがいるだけ。
神は純粋にトマスを案じるマルタの中にいる。信仰は「祈ったら良い事がある」という契約関係ではなくただ誰かのために見返りを求めず祈る事なのだ。