Eirain

処女の泉のEirainのレビュー・感想・評価

処女の泉(1960年製作の映画)
3.2
スウェーデンの名匠イングマール・ベルイマン、3本目。『第七の封印』、『野いちご』に続き鑑賞。

舞台は、中世スウェーデンの田舎。敬虔なキリスト教徒一家の一人娘、カーリン。両親の愛情を注がれて育った無垢な処女。ある日、教会へ蝋燭を供えるため、召使のインゲリと共に馬に乗って家を発つ。森を抜けようとするカーリンの姿を見つける3人の浮浪者の兄弟。無垢なる少女は、警戒心を抱くことなく彼らに近づいてしまう―――。

原作は、スウェーデンの東イェートランド地方の物語詩(バラッド)「ヴェンゲのテーレ殿の娘」・・・らしい。ネットでさっと検索してみたが、この民謡について解説している日本語サイトに当たらなかったので、原作に忠実な映像化作品かどうかは不明。

一人娘を辱められたことによる父テーレの怒り。敬虔なキリスト教徒であるが故の復讐に対する葛藤。復讐を遂げた後、見つかった娘の遺体の前で、"沈黙する神"に対して慟哭。娘が横たわっていた地面から湧き出る泉。これは"沈黙する神"からの返答か。怒りと苦悩からの解放、信仰心を新たにするテーレ―――。

作品の雰囲気や映像美は、先に観た2作と同様に素晴らしかったのだが、今作は宗教・信仰に関する内容が色濃かったせいか、どうにも心に響かなかった。どのあたりが引っ掛かったのか思い返してみたところ、原因は最後の最後、娘が殺された(泉が湧いた)場所に教会を建てて自分の罪を償うとテーレが言い出したところだった。直接的な描写でなんとも"俗"っぽく、作品の"神秘性"を一気に奪ってしまった感。(いや、内容は全然"俗"ではないのだが。)どうやらこの場面、監督のベルイマンも「余計だった」と述べていたようで。これは間違いない・・・。
Eirain

Eirain