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処女の泉のstanleyk2001のレビュー・感想・評価

処女の泉(1960年製作の映画)
4.5
『処女の泉』
Jungfrukällan
1960スウェーデン

14世紀スウェーデンのバラッド、Per Tyrssons dotter i Vange(ヴァンゲのペール・ティルソンの娘)を下敷きにして黒澤明の『羅生門』(1957)の影響を受けて作られた。「『羅生門』の騒々しい模倣だ」とベルイマンは述べている。

中世の森の中で行われた婦女暴行。白黒映画。という共通点はある。

でも扱っているテーマはだいぶ違う。『羅生門』は真実の不確定さ。『処女の泉』は神との対話だ。

『処女の泉』に登場する一家は農場主である父親テーレ、母親メレータ、一人娘カーリン、妊娠した養女インゲリ。そして働き手たち。

映画冒頭インゲリはオーディンに祈りを捧げる。裕福な農家に生まれ何不自由なく育てられたカーリンを呪っている。

カーリンの母親メレータは熱心なキリスト教徒。やっと起きてきた娘カーリンに教会に蝋燭を届けるように言いつける。

インゲリはカーリンの弁当を作るように命じられる。インゲリはパンの間にガマガエルを挟む。

オーディンは北欧神話の主神。ギリシア神話のゼウス、ローマ神話のユピテルみたいに他の神を誘惑したり戦ったりする人間くさい神。オーディンは色恋より戦いを好むようだ。片目でカラスと狼を引き連れている。

映画で描かれた時代のスウェーデンでは元々人々はオーディンを主神とする神々の神話を持っている。そこに新興勢力の一神教キリスト教が広がってきていた時代。古い神が新しい神に追いやられていった時代が背景だ。

新しい神キリストを信じる母親に育てられたカーリンの幸せを古い神を信ずるインゲリが呪った為に悲劇は起きた。

カーリンとインゲリは馬に乗り教会へ向かう。渡守の番人がいる川の辺りでカーリンとインゲリは口論になりインゲリを残してカーリン一人で川を渡っていく。

渡守の番人は片目でそばにカラスがいる。オーディンの特徴そのものだ。

森の中を一人進むカーリンの前に三人兄弟の山羊飼いが現れる。長男は口が上手い。次男は下を切り取られて喋れない。三男はまだ幼い。10歳くらいの少年だ。

言葉巧みに昼食に誘う長男の口車に乗りカーリンは森のひらけたところで昼を取る。「私のお弁当を分けてあげるわ」

長男はムラムラっとしてカーリンを犯そうとする。カーリンが落としたパンの中からガマガエルが出てくる。「俺たちを騙す気だったのか?」ヤギ飼いたちは逆上してカーリンを犯す。証拠を封じるためにカーリンを殴り殺して美しいドレスや飾りがついた靴を脱がせる。誰かに売りつける気だ。

インゲリの呪いは成就してしまいカーリンは悲惨な最期を迎えた。

日も暮れて山羊飼い三人は一夜の宿を求めてテーレの家を訪れる。

テーレは快く一夜の宿を提供し良かったらここで働かないかとまで提案する。

夜更け、テーレの妻メレータは怪我をした山羊飼いの三男の様子を見に行く。熟睡している三人。彼らの荷物の中にカーリンがきていた衣服と靴を見つける。そして衣服には血がついている。

カーリンがもう生きてはいないと悟ったメレータは夫テーレを起こす。絶望して神は何もしてくれないのかと訴えるテーレ。神は何も答えないので怒りに燃えたテーレは復讐を誓う。法律や裁判所が犯人を罰してくれるわけではないから自分で悪人を始末しなくてはならない。サウナで身を清めて肉切り包丁で三人の山羊飼いのを殺害する。

外からかんぬきをかけた部屋の中で行われる殺人場面は凄い緊張感に満ちている。

夜が明けてテーレとメレータはインゲリに案内されて森の中のカーリンの遺体を探し出す。怒りに我を忘れて殺人の罪を冒したテーレは自分の行いを悔いてここに教会を建てると神に誓う。

するとカーリンの遺体の下から泉が湧き出す。無垢な娘が犯され殺される時も沈黙していた神は最後に奇跡を見せる。

オーディンは人間に正しい生き方を求めたりはしない。ヤハウェとキリストは人間に正しくあれと求める。だが悪や不条理には沈黙したままだ。

娘をレイプして殴り殺して服を剥ぎ取った連中は殺されてもしかたがない。しかし熱を出して震えている少年も殺して良かったのか?

人を殺した悪人を殺す人間は善人なのか?悪人を殺す人間も悪人ではないのか?

人を呪う人間も人を殺した人間も悔い改めることが出来るのか?

神を信ずる代わりに神は何をしてくれるのか?(もちろん信仰とはそんな契約関係ではない)

色々な問いかけを残す映画だった。
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