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ゴダールの映画史 第2章 ただ一つの歴史のSEULLECINEMAのレビュー・感想・評価

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沈黙と不動が与える全てを汲み尽くすこと

映画を通過し
その痕跡をとどめる者は
他の道に入れない

模糊とした状態に確かな観念と感覚をもたらした二つの大きな物語は
セックスと死だった

ジョン・カサヴェテスに
グラウベル・ローシャに

『風と共に散る』
『風と共に去りぬ』

『アモーレ』
『キッスで殺せ』
『郵便配達は二度ベルを鳴らす』
『裸足の伯爵夫人』

すべてが相対的だ すべてが
相対的な状況と
相対的な真実しかない
すべてが状況にかかわる
古い流派に人々は
闘争を大きな記録映画で撮れというが
私はやはり 若い女性の恋のため息を無視することはできない

ジャン・ルノワール

『恋多き女』
『恋の手ほどき』
シャンパンを発明した夜

サッシャ・ギトリ

やがて彼は毎朝
嘘を売る市場に出かけずに済むだろう
嘘の市場でせり売りをしなくてよい
ブレヒトのこの言葉を
ラングにバルドーへ言ってもらった
その映画は『軽蔑』と名付けた

哀れなB・B
ブリジット・バルドー
ベルトルト・ブレヒト

一つの映像が
それ自体で何かを明瞭に表現していたり
解釈を含んでいるときは
他の映像と合体しても
変化しない
他の映像の影響を受けず
他の映像に影響もしない
作用も反作用もない
映画の体系では
そんな
決定的な映像は使えない

エミール・レイノート
エドワード・マイブリッジ
シャルル・クロ
トーマス・エディソン

初めに 2人の兄弟がいた
名前は”日除け”ではなく

互いによく似た兄弟で
二つのリールのようだった
以来 映画には二つのリールがある
一つは満ち 一つは空になる

夜が最後の力を集結して
光に勝とうとする
だが光は夜を背中から討つだろう
その映画を私は 地上の一つの場と呼んだ

『右側に気をつけろ』
『糧なき土地』
『私は告白する』
『スリ』
『グロムダールの恋人たち』
『大砂塵』

アンリ・ラングロワ
『キャメラを持った男』

写真の継承者確かに
写真の継承者確かに
写真の継承者確かに
継承したがゆえに
現実を再現する権利を継いだだけでなく
義務も継いだ
ゾラからの遺産で言えば
居酒屋や獣人よりも
プルーストやマネという家族アルバムだ

『悲しみよこんにちは』
『女優ナナ』

映画はキリスト教と同様
歴史的真実に基づいていない
映画はキリスト教と同様
歴史的真実に基づいていない
映画だ お話なんだ 大袈裟なものじゃない
歴史なんて大袈裟なものじゃない

イマージュは復活の時に訪れる
イマージュは復活の時に訪れる

『ジャンヌ・ダルク裁判』
『奇跡』
『アンダルシアの犬』

イマージュは復活の時に訪れる
イマージュは復活の時に訪れる

自由はどこに?

かげに
乙女たちのかげに
花ざかりで 涙にくれる

ロリータ
リリー
不良少女モニカ
ベビィドール

列車の到着 赤ん坊のおやつ
リオ・ブラボーに至るまで
撮影カメラの根本は変わらない
パナビジョンはジッドの弟がコンゴで使ったデブリー7より劣る

幻想のアフリカ 地の糧

最初の映像
一つの正しい映像ではなく
ただ一つの映像
ただ一つの映像

抑圧をなくすのは誰か?
我々だ
抑圧を残すのは誰か?
我々だ

映画が芸術だったことはなく
技術でさえなかった

ボヴァリーは映像でポルノになる前に電信で広まった。

ただ一つの歴史

技術でも芸術でもない

未来なき芸術と兄弟は警告していた
未来なしと兄弟は親切に予言していた
予言は百年と待たずとも正しかった
レオン・ゴーモンの夢はテレビが果たし
大スペクタルが小さな寝室にまで届く
大空は親指小僧の背丈に縮こまる

『たぶん悪魔が』

その上 兄弟は誤解された
現在形の芸術
幼年期の芸術

物語を語るのではなく

『にがい勝利』
『理由なき反抗』
『怒りの日』

20世紀の夜明け
老シャルコーが若きフロイトへ夢の扉を開く

氷上のリリアン・ギッシュと精神病院の少女との違いがどこにある?

ユナイテッド・アーティスツ

D.W.グリフィス
チャールズ・チャップリン
メアリー・ピックフォード
ダグラス・フェアバンクス

幼年期など一つ二つの世界大戦で
自堕落に壊れる

テレビは愚かな大人に育ち
どこから生まれたか忘れ
ひたすら児戯に耽る

心を痛めることはない
私たちは皆
皆まだここにいるから
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