ふたーば

怒りの葡萄のふたーばのネタバレレビュー・内容・結末

怒りの葡萄(1940年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

想像の何倍も面白かった。

実は大学一年生のときアメリカ文学の授業でこの小説について一コマだけ講義を受けたのだけど、そのときは正直あんまり印象に残らなかった。地味で暗いイメージが拭えなかったせいかもしれないし、貧困のリアリティ描写についての先生の説明が淡白だったせいもあるかもしれない。あと、細かいことだけど「怒りがぶどうのように実る様から題は取られた」と言われても全然ピンとこなかった。そんなことあるの?

だが実際に見ると印象はガラッと変わった。砂嵐の吹きすさぶ荒野に佇む粗末な家。無情な地主とその代理人。不気味なトラクター。取り壊されるあばら家。そして主人公の射抜くような眼光の鋭さ。彼が周りの誰かと話すとき、そこにはいつもピシッとした緊張感が走る。映画の冒頭はそういう張り詰めた空気が物語を引っ張っていく。

あんな頼りない、今にも自壊しそうなボロボロのトラックに、家族10人の運命を託して乗り込むというのは、一体どんな持ちなんだろう。何度も出てくる場面だけど、出てくるたび少しずつ背負うもの、失うものが変わっていく。先が全く見えないところだけは毎度全く変わらない。なのに軽い冗談を飛ばす人間もいれば、弱ってる者を気遣う人もいる。

講義で先生が説明してくれた言葉で唯一うっすら覚えていたのは「最下層を生きる人間のたくましさ」だった。当時はそうなんだな、くらいに思っていたけど、実際に映画を見ると身にしみて痛いほど理解できる。みな強い。いきなり給料を半分に減らされても、見ず知らずの人間に機械の部品のような扱いを受けても、そう簡単には諦めない。流れる川のように形を変えながら、下へ下へとくだってそこでどうにか生き抜いてしまう。貧困の存在する世界に生まれた者として、ただ賛美して終わっちゃいけないのかもしれないけど、終始圧倒されてしまった。

あと、家族を追い詰める人がみな揃って「自分はただのつかいだ。文句は上のやつに言ってくれ」と言うところには作者の強烈な怒りを感じた。資本主義社会の歯車に巻き込む人間には顔が無い。誰もが理不尽さを自覚しているのに、自分もそのコマの一部に過ぎないことを口実に眼の前の生きた人間に不幸を押し付けてしまう。おそらくそういう理不尽さに対する復讐のつもりで、そこに対置される家族を生き生きと美しく描いたのだろうな。

好きな場面はたくさんあるけど、子どもたちがシャワーを使おうとするシーンがなんとなく印象に残っている。彼らはシャワーを使ったことがないから、水が噴き出るのを見て壊したと思い、全力で逃げ出してしまうのだ。ちょっとした笑いと安堵感を誘うなんてことない描写なんだけど、意外とこの映画のかなり本質的な良さを見事に描き出したシーンではないかと思う。そういえばこの映画、終始子どもたちは意外と元気で、それも微妙に救いの要素になっている気がする。

いい映画だったな……筋書きだけを聞いて、何がこの作品を「傑作」にしているのだろう?と思いながら見たけど、答えが分かって良かった。人間の底知れない強さだ。
ふたーば

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