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タルコフスキー・ファイルin「サクリファイス」のROYのレビュー・感想・評価

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『サクリファイス』制作時のタルコフスキーに迫るドキュメンタリー映画

断片は何回か観たけど、初めて全部観れた。

『Directed by Andrei Tatkovsky』と重複

■SYNOPSIS
アンドレイ・タルコフスキーの生涯と作品を、彼の遺作となった『サクリファイス』の撮影現場を捉えた映像を中心に、インタビューを交えながら、タルコフスキーの綿密な創作過程と妥協のないビジョンに迫る。(MUBI)

■NOTE I
タルコフスキーの最後の作品である『サクリファイス』の舞台裏を拡大しただけのドキュメンタリーではなく、ミカエル・レズチロフスキのドキュメンタリーは、タルコフスキー監督の信奉者にとっては必須の視聴物である。タルコフスキーは『Sculpting in Time』を読み、偉大な撮影監督であるスヴェン・ニクヴィストと対談する。(MUBI)

■NOTE II
ロシアの巨匠アンドレイ・タルコフスキーは、観客の時空観に挑戦する幻の映画を次々と発表し、哲学的な重厚なテーマを妖しい美しさの映像で表現する独自の映画言語を作り上げました。超越的な中世劇『アンドレイ・ルブリョフ』から『ソラリス』や『ストーカー』といった瞑想的なSF大作まで、彼の多大な影響を与えた傑作は、その驚くべき野心と精神性や形而上学的経験に対する深い洞察において一貫している。(The Criterion Channel)

■NOTE III
映画人のドキュメンタリーとしては、模範的な作品である。俳優のリハーサルを行い、練習撮影では自らカメラマンとなり、撮影監督のスヴェン・ニクヴィストとデザインや照明について話し合い、そして何より、彼自身がユーモアのセンスに溢れていることを明らかにしているのだ。しかし、タルコフスキーが最も広く尊敬されているのは、その精神性と思想である。ここでは、自著『Sculpting in Time』の朗読や、熱烈な学生やファンに向けて行われた講義の抜粋が披露されている。実際、レズチロフスキが優れているのは、タルコフスキーが理論を実践に移しているところを見せるところである。彼の場合、必然的に芸術と詩にアクセントが置かれ、「偉大な監督」特有のポーズ(両手でシーンを縁取り、それなりに強烈な表情をしている)をとっているショットが多すぎるのは論外である。しかし、全体として、この映画の客観性は評価されるべきだろう。(Time Out)

■NOTE IV
1988年、ソビエトの伝説的な映画監督の仕事ぶりを垣間見ることができる、タイトル通りのドキュメンタリー。アンドレイ・タルコフスキーは、その短いながらも輝かしいキャリアにおいて、わずか7作品しか制作していない。ミカエル・レズチロフスキは、彼が最後の作品である『サクリファイス』に取り組んでいる様子を、敬意を込めて撮影している。タルコフスキーの作業方法と超越的な美学への洞察を提供するこの映画は、映画制作の難しさについて説得力のある説明になっている。タルコフスキーのような妥協を許さない先見性のある映画作家の場合、映画制作の現実的な問題は拡大するばかりで、キャストやスタッフはタルコフスキーの頭の中にある野心的なコンセプトを実現しようと奮闘する。このドキュメンタリーの目玉は、『サクリファイス』の最大の見せ場である、クライマックスの6分間に及ぶ家屋の炎上の撮影であろう。この撮影は一度目は失敗したが、数日後、頑固なタルコフスキーが撮影できなければ映画を放棄すると脅したため、プロデューサーが全焼した家を再建し、再挑戦された。レズチロフスキは、作業中のタルコフスキーの映像に、インタビューの断片やタルコフスキー自身の著作(ナレーターのブライアン・コックスが朗読)の抜粋を散りばめている。タルコフスキーの映画1本に焦点を絞ってはいるが、20世紀最大の芸術家の一人であるアンドレイ・タルコフスキーを鋭く研究している。(All Movie)

■NOTE V
映画監督は2種類に分けられる。自分を取り巻く世界を再現するため模倣に励む者と、独自の世界を創造する監督である。独自の世界を創造する者は詩人だ。とりわけ、ブレッソン、ドヴジェンコ、溝口、ベルイマン、ブニュエル、黒澤がそうだ。腑に落ちないかもしれないけど、映画制作の中で最も著名な人たちである。だから、彼らは映画を作るのに苦労する。なぜなら、観客は象徴的な、存在しない映画世界に慣れているからだ。観客自身の興味と嗜好の結果である。観客自身の興味や嗜好の結果である。私が名前を挙げた監督たちは皆これに反対している。観客の嗜好が決め手になることに。曖昧にしたいからではなく、観客と呼ばれる人たちの心の奥底にあるものを表現するために、密かに耳を傾けたいからです(劇中でタルコフスキーが生徒に言ってた言葉)

■NOTE VI
『サクリファイス』のクライマックス・シーン(アレクサンドルが家に火を放ち、サクリファイスの儀式を実行する場面を撮影していたカメラが故障し、タルコフスキーは不完全な形で撮影を終了しなければならなくなる。当時の日記からラリッサ・タルコフスカヤ夫人がその苦悩のようすを回想する。しかしタルコフスキーの熱意はスタッフを動かし、不可能と思われたセットを修復させ、再度行われた撮影を無事完了させたのである。

「集った人たちが、ひとつの構想の実現を目指し、家族のように団結すれば山をも動かす。創造的雰囲気が生まれれば、発案者が誰かなど問題ではないのだ」(タルコフスキー)

ガンという肉体的苦痛。そして自己の映像表現を追求する精神的葛藤。これらをその強固な意志で克服し撮りあげた『サクリファイス』は、さらに約40分にも及ぶシーンのカット・編集作業が行なわれ完成した。レシュコフスキーは、冒頭に置いた美しいシーンを始めタルコフスキーが、最後の気力と全神経を注ぎ切り落としていったその断片を、本作の中に散りばめている。

タルコフスキーは『サクリファイス』編集途中て病に倒れた。本作の最後には、病床から色彩処理の指示をしているシーンが納められている。

タルコフスキー独自の映像言語として語られる“水・炎・空中浮遊”。本作において、これらを操るタルコフスキーにふれる事により、僅かながらも映像作家タルコフスキーの本質に近づく。

そして、死を意識しながら、最後まで創造の意欲を持ち続けるその感動的な姿にふれるとき、本作がタルコフスキーからの最後のメッセージである事に気付くのである。

『イメージフォーラム』http://www.imageforum.co.jp/tarkovsky/inscrfc.html
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