ろく

十階のモスキートのろくのレビュー・感想・評価

十階のモスキート(1983年製作の映画)
4.0
シュキナベイビナァ④

内田裕也は屑ばかりやればいいんだよ。

此れと「コミック雑誌なんかいらない」、それに「水のないプール」を合わせて勝手に「ユーヤ三部作」だと思っている(「魚からダイオキシン」はどうしたと言うツッコミもあるだろうけど)。

まあこの作品でも内田裕也がどんどん屑になっていくのがたまらなくいい。もともと内田裕也の良さって「空っぽさ」だと思っている。何考えているかわからない、苦悩なんか観客に「感じさせない」あの空虚さ。それが今作でも良い方に出ているの。

話はバツイチの警察官がギャンブルや養育費でつぎつぎに借金を繰りかえてして最後は……って感じなんだけど、内田の場合それが妙にリアルなんだよねえ(香取慎吾の「凪待ち」なんかより断然いい!)。ギャンブル好きって決して楽しくないんだよ。顔もみんな死んでいるの。で、たまに「笑う」。わかっているんだって、自分が破滅に向かっているのは。それでも賭けないでいられないんだよ。完璧な中毒。

内田の娘役で小泉今日子が出ていたり(完璧なる大根)、ギャンブルの予想屋にビートたけし、同じギャンブル狂いに横山やすしとカメオ出演も楽しい限り。これは内田のさりげない人脈なのかなと思っている(なぜか内田はポンコツなのに可愛がられるからだろうか、内田映画には「まさかこの人が」って人が出る)。

題名に「十階のモスキート」。蚊がたまに間違って高層階に来てしまうじゃない。で虫だから戻れないんだよ。そこにあるのは少しだけの延命(人の血を吸う)とすぐそこに来ている「死」だ。この映画はまさに「十階のモスキート」なの。内田は徐々に「戻れなく」なってしまっている。その先にはあるのは破滅だけ。そしてその破滅のシーンも僕らは観て「やっぱり」と思う。

パソコンを嬉しそうにいじっている内田が好きだ。でもそこに「生産性」はない。趣味が趣味のうちであるのはいい。でも趣味が何も生み出さないことに気付いてしまったら。そして「生産」がないと生きていけないことに気付いてしまったら。パソコンは「十階」から放り投げられる。投げられたパソコンの残骸を僕は笑って見る事が出来ない。

※前述したが小泉今日子が信じられないくらい大根である。でも信じられないくらい可愛い。これは当時ファンがいるわけだと納得した。

※内田は女性を暴力でしか支配出来ない。まるで自分だけが納得するためにセックスをしている感じだ(それは「コミック雑誌はいらない」でもそうで「水のないプール」ではその納得のために相手はクロロホルムで寝かされる)。女性と心がつながることはない。その点でも内田の「空っぽ」を見せつけられている気がする。ある意味「かわいそう」と感じてしまうのは僕も内田マジックに嵌っているからだろうか。
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