虚構に逃げる全てのオタクどもに捧ぐ。
萌え・カタルシス・正義のヒーロー、現実から逃げるための手段として存在する時もあるアニメ・映画。
現実にはあんな都合のいい女の子はいないし、どうあがいたって、空から女の子は降ってこない。
それをメタ的に認知させるように実写映像が入り込む。
観客を映しながら・・・
レイ「夢の中(アニメの中)にしか、幸せを見出せないのね」
シンジ「だからこれ(アニメ)は現実じゃない。誰もいない世界だ。」
レイ「そう、夢。」
シンジ「だからここには僕がいない。」
レイ「都合のいい作り事で、現実の復讐をしていたのね。」
シンジ「いけないのか?」
レイ「虚構に逃げて、真実を誤魔化していたのね」
シンジ「僕一人の夢を見ちゃ、いけないのか?」
レイ「それは夢じゃない。ただの現実の埋め合わせよ」
この怒涛の掛け合い!
逃げるようにアニメ・エヴァにすがる、スクリーンの前のお客さん(碇シンジ)を突き放す。
本当のことは痛みを伴うもの。
それから逃げ、心を閉じた人間の末路は、碇ゲンドウが語る通りだ。
不確かだけど人間に向き合え!
それが生であり、人間だ!
と映画は語る。
心=ATフィールドがぶつかるとき、他人を傷つけるし、自分も傷つく。
だから傷つかないように逃げて、シンジくんはイヤホンで耳を塞いでいた。
だが、シンジの使うウォークマンは終盤、充電切れを起こしている。
彼には自分を隠すためにすがるものがもうない。
「逃げたところで、いいことはなかった。だって、僕がいないもの。誰もいないのと同じだもの。」
人は互いに分かり合えるのか?
だが、出てくるのはどこまでも心に闇を抱える登場人物たち。
親に認めてもらいたい子供。
心の隙間を埋めるように異性とセックスする大人。
この満たされない個のモヤモヤとした感じ。
あ〜ゼロ年代。
シンジ「アスカじゃなきゃダメなんだ!」
アスカ「嘘ね」
シンジ「・・・」
アスカ「アンタ誰でもいいんでしょ。みんなが怖いから、私に逃げてるだけじゃないの?」
シンジ「助けてよ」
アスカ「それが1番楽で傷つかないもんね。」
シンジ「ねえ!助けてよ!!」
アスカ「本当に他人を好きになったことないのよ。自分しかここにいない。その自分も好きだって感じたことないのよ」
あー耳が痛い・・・
身に覚えしかない。
この痛々しいまでの思春期の独白。
思春期の当事者が、見てもまだ何も面白くないかもしれない。
後から見ると表現、時代性、メカデザイン、世界設定ともに、歴史に残る大作。
復活と成長の物語。
構造は聖書と変わらず、人を魅了し続ける。