アニマル泉

汚れた血のアニマル泉のレビュー・感想・評価

汚れた血(1986年製作の映画)
5.0
ゴダールは映画の核心に最も迫った監督だ。ゴダールを乗り越えた監督はいない。本作はゴダールに最も近づいたカラックスの傑作である。
本作は「強度」と「断片化」と「スピード」の映画だ。冒頭はメトロの壁の移動ショット、赤が印象的な鮮烈な色彩だ。男の背中、短いショットの断片のモンタージュ、一瞬何が起きたのか判らないが、アレックス(ドニ・ラヴァン)の父親の転落死の場面である。強度の高いショットの断片がスピーディーに積み重なっている。ゴダールは映画が物語の再生に堕落してしまった事態に戦った偉大な監督である。ゴダールは映画を脱構築した。その結果、ゴダールの作品は映像と音の巨大な塊となったのである。カラックスも本作を映像の断片と音の網目状にしてしまった。まさに「恐るべき子供」の「恐るべき作品」なのである。
カラックスは「夜の作家」だ。アレックスとアンナ(ジュリエット・ピノシュ)の夜のバスの出会いの場面が素晴らしい。本作は長玉レンズを活用してピンボケ、ピント送り、ガラスの映り込みなどが頻出するが、この場面はその白眉で美しい出会いの場面を作り上げている。
アレックスとアンナの視線は交わらない。二人が見つめ合うパラショットや切返しはない。二人は並んで鏡を見ながら話す、アレックスは腹話術を使う、片方のアップしかない、とにかく視線が交わらない。アレックスが「近寄ってもいいか?」と聞く場面、アンナは頷いて、アレックスの見た目ショットのアンナがカメラ目線で近寄ってくる、強烈なショットでアレックスの切返しはない。パラシュートの降下訓練の場面、アレックスはアンナを抱くがアンナは気絶している。例外的に二人が見合う場面は距離がある。アンナがアパートの向かいのホテルに泊まる場面、窓から覗くアンナと下から見上げるアレックスは視線を交わす。髭剃りの場面、シェンビングクリームをアレックスがいきなりアンナに浴びせる、アンナも浴びせ返す、この距離を介した無邪気な戯れの場面は視線が交わる。
アレックスの登場場面はカラックスが好きな森だ。アレックスはボクサーである。賭けトランプで生計を立てている。薬を服用する。アレックスとマーク(ミッシェル・ピコリ)の殴り合いが面白い。ガラスごしのショットで顔がガラスで潰れる、これも強度が高いショットだ。
アンナは赤から青そして赤、ラストはモノトーンで大柄のチェック柄のセーターで顔に赤い血、色が変わっていく。アンナは時々髪の毛に向けて息を吹く。アンナのアップが印象的だ。上から捉えた俯瞰気味のアップ、寝そべるのを逆さまから捉えたアップ、美しいアップだ。
カラックスは「走る映画」だ。デヴィッド・ボウイの「Modern Love」でアレックスが疾走する鮮烈な移動ショット、ラストのアンナが滑走路を疾走してやがてフレームが消滅してしまう美しいショット、どちらも神がかったショットだ。あるいは夜の川べりを走るアレックスとリーズ(ジュリー ・デルビー)の二人乗りのオートバイ、この後カラックスの映画で何度も見ることになるショットだ。
愛のないセックスで感染するウィルスがパリで蔓延してワクチンを盗み出そうという物語、ハレー彗星が大接近して夏に雪が降るという異常気象、が本作の背景になっている。
カラックスは「星空」を時々挿入する。
本作は「後姿」や「俯瞰ショット」が強調される。撃たれたアレックスの俯瞰ショットが鮮やかだ。
「停電」もカラックスの主題である。カラックスは「故障」や「停電」の作家である。
本作は「銃」に注目せざるを得ない。 
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