Jeffrey

人間蒸発のJeffreyのレビュー・感想・評価

人間蒸発(1967年製作の映画)
4.0
「人間蒸発」

冒頭、失踪した男の事柄を話す男。婚約者の女と俳優の男、レポーターとして関係者に話を聞く。行方不明者大島、蒸発して一年半、取材の展開、捜索、肉体関係。今、思いがけない情報が飛び込んでくる…本作は今村昌平が一九六二年に監督したモノクロのドキュメンタリー映画で、ATGが最初に資金提供した作品として有名なー本である。この度YouTubeにて今村昌平の世界を紹介するべくDVDを購入して久々に鑑賞したが傑作。本作を当時それこそYouTubeに全編落ちていたのをTVにペアリングして鑑賞した。この作品は国内外からもそうだが、国内でも評価を得て、キネマ旬報第二位、映画芸術第一位、日本映画評論第一位と素晴らしい功績を残している。

ドキュメンタリーであるがフィクションでもある映画と言うのは今の時代たくさん出てきたが、当時ではまだそこまで多くなかったと思う。同じくATGの羽仁進の「午前中の時間割り」もこの手の手法をとっていたし、同監督の「不良少年」もそうである。本作に限ってはラスト路上に集めた関係者を前に"これはフィクションなんだから、フィクションなんだから"と今村昌平自身が強調して幕を閉じる。この映画見終わると本当にクライマックスの責め立てる女同士の口喧嘩的なのが凄い。責めから攻めに変わるエンディングは圧巻。露口 茂演じるレポーターの俳優がもはや存在感をなくしてしまい、お姉さんとの戦い(仮説)の絵面は強烈。 露口 茂は今村昌平の作品に多数出演している役者で今もご存命である。



さて、物語は行方不明になった大島裁を探す彼の婚約者の早川佳江に協力し、彼の行方を追う俳優の露口茂。二人は七ヶ月にわたって、大島のかつての恋人や友人たちに次々とインタビューを行い、大島の行方を追っていく。追跡が進み、大島の真の姿が明らかになるにつれ、思いがけない情報を入手する。実は佳江の実姉サヨと大島が密会していた事と言うのである。早速二人はサヨを問い詰めるのだが…と簡単に説明するとこんな感じで、冒頭に男が書類を見て行方不明者の大島の事柄を懸命に話すファースト・ショットで始まる。そんで、大島が働いていた会社の社長に色々と聞く婚約者の女が俳優とともに色々と情報を得ようとしているシーンへと変わっていく。

いくつかの関係者にじっくりとインタビューをするのが続いていく。そんで、彼が蒸発してから一年半が経つと俳優の男が言ってから"人間蒸発"と言うタイトルロゴが出現する畳の部屋の黒を基調となったコントラスト強めのシークエンスで現れるタイトルのかっこよさと黛の音楽がとんでもなく厭世的な気分に陥れる。こんな画期的な演出間違いなく今見る事は不可能。最早怪談である。これはホラーだ。見る者の想像力を掻き立てる怖い映画だ。これはあまりレンタルショップや配信とかでも見かけないので、気になった方はぜひともYouTubeで見て欲しい。


いゃ〜、前代未聞の記録映画と言っていい。この挑戦の姿勢に感服する。行方不明になった婚約者を探す女に俳優が密着追跡する、そして人間模様を赤裸々に描き出すと言うのを全編モノクロで構築したドキュメンタリーとフィクションを融合させた演出は拍手喝采もので、音楽とともに緊張感を際立たせ、なんとも得体の知れない狭間へと観客を迷い込ませる。映画の中盤で婚約者がサヨに問い詰めるシーンが結構長く映されるのだが、追い詰め方がえぐすぎて面白い。どう解釈したらいいの?だって私覚えてないもの…の繰り返しで平行線をたどる。クライマックスでは水掛け論の応酬で、野次馬が集まり、まるで芸能界のスキャンダルを報道するマスコミに囲まれた小鹿の如く…女二人が堂々巡りの会話をする混沌とした路上でのズームと引きの往復が凄い。手持ちカメラのブレブレ感がリアルを増さす。

やはり六〇年代の日本と言うのは高度成長によって急激に変化した時代と言う事は周知の通りで、もちろん日本の社会が活性化され、工業化で人口が大きく流動し、家族の解体が明らかに進んだ年代とも言えるだろう。そうする上で必ず起きる問題の一つに孤独と言う生活が待っている。今で言うそういった結束の力がなくなってしまい、孤独により自殺へと自分の人生に終止符を打つ人々が多くいる世の中、当時の日本ではそういった蒸発、姿をふと消してしまい行方不明者になるというのが結構あったのではないだろうか…。今思い返せばそういった人々を家族が依頼して捜索するテレビのシリーズ番組というのが昔あった。今もYouTubeに落っこちているんじゃないだろうか。

そういったテレビの番組で流していた生ぬるい人間を捜索する番組を遥かに凌駕した作品が、今村昌平が発表した本作では無いだろうか。そうした事例のーつを長編ドキュメンタリー映画と言う形で徹底的に追求し解明したのが本作だと感じる。彼の息子が父の今村にインタビューしている映像がDVD特典の中にあってそれを見たのだが、当時は二十四人の失踪者をテーマに映画を作ろうとしていたそうだ。一人の男の失踪、大島と言う人物だけを捉えている作品で二時間近くもかかっているのに、二十四人もやっていたら膨大な時間と出費がかかっただろう。そして今回選ばれた事例は新潟県の農村出身で東京の下町のプラスチック食器卸問屋で十五年間働きながら突然失踪してしまった大島と言う三〇歳の人物を選んだそうだ。この人物を探したいと希望しているのは、やはり新潟県の小都市の出身で東京のある病院に勤めていた婚約者の早川と言う女性だったそうだ。監督は俳優の露口を彼女に付き添わせて一緒に大島を探し、その過程を十六ミリフィルムで撮ったと思われる。

しかしながら結局7ヶ月も追跡をしても彼を見つけることができなかった。映画を見るとわかるが、目的は失踪者を探し出してその理由や状況や心理を聞くことである。その間、大島の同僚や知人や家族を訪ね歩くことによって、普通は映画の主人公として描かれることのない平凡な下積みのこれといって何もない大島のそれなりに複雑な人間関係を映しているのは画期的だと感じられる。そもそも映画の趣旨が少しずつずれていき、早川と言う女は大島を探す以前に共に行動してきた俳優に恋心を持ち、実の姉を問い詰め三角関係の中身を知りたくなり、疑惑をかけていく方向へと展開していくのだ。なので映画自体は興味が尽きないようにうまく工夫されている。

そもそもドキュメンタリー映画に演出があってはならないと言うのは当たり前のことで、しかしながらこの作品には今村の演出が多く施されている。しかしながらクライマックスの姉妹同士の対決の場面で監督自身が現れ解散させることにより、この映画が虚構であったことを少なからずほのめかしている。なのでドラマであってドキュメンタリーと言うカテゴリーに分類される。しかしながらドキュメンタリー性が非常に強くも感じる。後に関係者がこの映画を振り返って観たら、きっとクレーム言うと思うが、盗み撮りの場面が結構ある。それがそんじょそこらのドキュメンタリー映画と違って人々の本心をさらけ出している画期的な源になっている。数年前にアカデミー賞の長編ドキュメンタリー映画賞受賞してしまった日本人にとっては最低最悪の作品があるのだが、それも太地町でイルカ漁を入江に運ばせ殺している場面を夜な夜な隠し撮りしている「ザ・コーヴ」と言う映画である。

ドキュメンタリーに隠し撮りと言う要素を入れるだけで、ものすごくリアルさが増す事は証明されている。この「人間蒸発」はそういった中でドラマの登場人物のように彼ら彼女らが役を演じているのだ。だってインタビュアーである婚約者が付添人の男と恋をするようになっていく過程も撮り始めてしまい、監督自身が関係者と相談しながら撮影のプランを再検討してしまうのだからすごい。最も困難だった人間描写に足している映画である事は間違いないし、激しい憎悪が表面化してきて姉妹の間での憎悪が周囲の人々を巻き込んでいくような、中東で言うなら神アッラーを巻き込む(宗教)的な具合に人間関係が異様なまでに濃密で、この何故か行方不明になってしまった人間がもたらす不幸が淡々と描かれていくのだ。まさに唯一無二のドキュメンタリー映画と言っても良いのではないだろうか。この映画は現実は終わらない状況で幕を閉じる映画である。なんと言ってもカメラにうつされていると言う事柄が彼女たちを意識させてしまいドキュメンタリーが現実へと動いてしまうような数奇なドキュメンタリー映画である。



傑作。
Jeffrey

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